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「あの星にとどかない」

☆上演権を含めた著作権は水野はつねに帰属いたします。
ご購入後も、上演をご希望の場合は必ず水野までご連絡くださいますようお願い致します。

【あらすじ】宇宙工学の研究をする若い科学者・マコト。研究所の主であるカオルと一人娘のトコに支えられながら、日夜研究に励んでいる。
ある日、マコトは自宅で謎めいたメモを見つける。紛れもなく自分の字なのに、何を書いたのか思い出せない。
そのメモをきっかけに、マコトの意識は夢とうつつの境目をさまよい始める。
欠落した記憶と、繰り返しよぎる幻。
彼が見つけ出す真実とは?そして、その先に彼が選ぶ道は——。
「幸福は確かにあって、だけど目には見えない。人は幸福の痕跡を目にしてようやく、そこに幸福があったことに思い至る。僕らは、……僕らはあのとき幸福だったんだ。まちがいなく。」

【登場人物】

マコト…宇宙工学の若い研究者。すこし気弱だが心優しい
チコ…マコトが夢の中で出会う女性。マコトのことを知っているようだが……
トコ…マコトの娘。おてんばで口が達者。実は……

カオル(奥さん)…マコトの師匠にあたる博士(故人)の妻。自身も研究者だが一線を退き、自宅兼研究所の庭で畑を耕しながら半自給自足の生活を送る。

ムカイさん…マコト宅の向かいに住む若い男性。鳶職。
パン屋さん…マコト宅の近所のパン屋の女将。

群衆の声・アナウンス(数名)

*****


星の夜。
市街から少し坂を上った、丘の上に建つ研究室を、さらに見下ろすほどの高台。
小ロケットの発射台がある。
発射台の隣で、マコトは小さな箱を抱いて立っている。
金属の指輪が、きらりと光る。ころん、と箱の中に落とし、マコト、箱のふたを閉じる。
研究室からカオルが出てくる。

カオル「すっかり暗くなったわね」
マコト「カオルさん」
カオル「月が円いわね」
マコト「昨日が満月だったそうです」
カオル「そうなの。私は乱視がひどくて」
マコト「ええ」
カオル「本当に後悔しないの」
マコト「あれからずっと、決めていましたから」
カオル「そうね」

カオル、去ってゆく。

マコト「僕は今、地上で一番宇宙に近いところに立っている。高いところはもっとほかにあるけど、でも確かにここは、宇宙に一番近いところ。足の裏を、ぴったりと地に沿わせて、大気の向こう側に、宇宙のほんとうの顔を見つめている。光——、ひかりは僕たちの身体を、音もなく突き抜けてゆく、微かな、感知できないほどの傷を僕たちに与えながら。」

星が瞬いている。
チコ、眠っていた。目を覚ますが起き上がれない。
悶えると手に触れるものがあり、夢中でそれを引き寄せる。
起き上がり、見ると、それはぬいぐるみである。
チコ、ぬいぐるみを孕もうとする。が、うまくいかず、床に落ちてしまう。
幾度か拾い上げ、孕もうとする。そのたびぬいぐるみは床に落ちる。
チコ、茫然。
時計の秒針の音が聞こえる。おもむろに祈りの仕草を真似る。

チコ「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを、」

さえぎるように、けたたましく、目覚まし時計のアラーム音
チコ、音に足がすくむ。去ってゆく。
アラーム音、止まり、入れ違いにトコが出てくる。どこか決然と。
床に落ちたぬいぐるみを女が拾い上げ、トコに変わる。


晴れた朝、目覚まし時計のアラーム音。トコの悲鳴。

トコ「やーっ!」

マコト、トコの声で目覚める。

マコト「どうしたの」
トコ「いやなこと思い出しちゃった」
マコト「いやな夢?どんなの」
トコ「マコちゃんは知らなくっていいの」
マコト「そんな言い方するなよ」
トコ「トコおねえさんだもん」
マコト「はいはい」

マコト、食卓にパンを置き、朝の支度をはじめる

トコ「朝ごはんは?」
マコト「干しブドウとくるみのパン」
トコ「えーっ」
マコト「昨日はあんなに美味しそうに食べてたじゃないか」
トコ「今日からきらいになるの」
マコト「大好きだろ、干しブドウ」
トコ「だってださいもん」
マコト「ださくないよ、誰が言ってたの」
トコ「トコが決めたの」
マコト「トコ、ださいってどういう意味か知ってるの?」
トコ「しってる!あのね、ふるくてしわくちゃなこと(マコトの服を指さしながら)」
マコト「あー……、古くてしわくちゃのシャツは確かにださいんだけど、干しブドウはね、なんだ、その、スタンダードだから」
トコ「スタンダード?」
マコト「はやりすたりのない、つまり、ださいとかださくないって言葉の例外になるもの」
トコ「れいがい、」
マコト「つまりね、古くてしわくちゃでも干しブドウは美味しいんだから、無理して嫌いにならなくていいの」
トコ「はあい」

二人、パンを食べながら

トコ「何でシャツ、しわくちゃなの?」
マコト「アイロンかけてる時間がないんだよ」
トコ「うそばっかり!きのうマコちゃん、帰ってきてしばらくぼーっとしてたもん」
マコト「それは……それはね……まあそういうこともあるっていうか、」
トコ「身だしなみはちゃんとしないとだめなのよ。紳士のたしなみなんだよ」
マコト「いつの間にそんなに口が達者になったんだ」
トコ「トコおねえさんだもん」
マコト「わかったわかった。今度は、ちゃんとするからさ」

食べ終わり、皿を片付けながら

マコト「さ、出かけるよ」
トコ「カオルさんのところ?」
マコト「おつかいがあるからパン屋さんに寄っていこうね」
トコ「おひるごはん、今日はカオルさんなにつくってくれるかなあ」
マコト「どうだろうね」
トコ「ハムとウインナーとめだまやきがいい」
マコト「野菜も食べなよ」
トコ「びようのためでしょ、レディのたしなみ」
マコト「そうだね、トコはレディだから」

マコト、トコと共に出かけようとして、
壁に雑にピンで留めてあるメモに、ふと目を留める。

マコト「ちょっと待ってね」
トコ「えー?」
マコト「『バゲットを一本、干しブドウとクルミのを五切れ、オリーブオイルひと瓶、次の出勤日に』……これはカオルさんのお使い……もう一枚ある。『翡翠橋へ。花を。せめて、花を。』——なんだっけ、これ?」

トコ「マコちゃん?あんまり遅れていったらカオルさん心配するよ」
マコト「ああうん、そうだね、今行く」

マコト、メモ書きが気になり、壁から外ししげしげと眺める

マコト「……花ってなんだ?」


舞台は街のパン屋へ
プロパガンダ、共産趣味、宗教、などのにおいがする異国のラジオが流れている
パン屋、エプロンをつけ、時折鼻歌なんぞも交えながら店を開く準備。
後ろからムカイが声をかける。現場仕事っぽい恰好。

ムカイ「おはようございます」
パン屋「あら、おはよう!」
ムカイ「今日も早くからご苦労さまです」
パン屋「お互いさまでしょ、いつもの、とってあるわよ」
ムカイ「助かります」

紙袋を受け渡す。

パン屋「今日はどこの現場?」
ムカイ「今日のはね、ちょっといわくつきなんですよ」
パン屋「というと?」
ムカイ「いやあ、なんか詳しくは聞いてないんですけど、山奥……だいぶ『壁』の方にある施設に連れてかれるらしいんです。どうやらそっち関係の建物で。ほんとはこういう汚れ仕事なら断りたいんですけどね。壁の方、最近物騒だから、うちぐらいしか引き受ける事務所がないんだって」
パン屋「お互い貧乏暮らしは辛いわねえ」
ムカイ「うちの事務所だって、金に困ってなきゃ絶対に引き受けてませんからねえ。聞きました?こないだも壁の番人が、向こう側から金目の物をいろいろ持ち込んで売りさばいてたとかいう話です」
パン屋「え、そうなの……物騒な。汚染とか、どうなのかしらねえ」
ムカイ「噂っちゃあ噂ですけどね、あながち間違ってもないんじゃないですか。壁の向こうに住んでた人たちって、相当いい暮らししてたんでしょう。さぞかしたくさんのお宝が眠ってるんでしょうね。まじめに働くだけ馬鹿を見るんじゃないかって思っちゃいますよ」
パン屋「あら、鳶からドロボー猫に転職するおつもりで?」
ムカイ「転職できるもんならしたいですよ。お魚くわえてお上から逃げおおせるだけ要領がよかったらとっくにやってます」
パン屋「そんなこと憲兵が聞いてたら丸一日懲罰よ」
ムカイ「汚れ仕事が飛んでむしろラッキーなくらいですよ。まあいいや。午後にはどうせこっちで別の現場なんで、ちゃっちゃと終わらせて下りてきます。お昼のサンドイッチも買いに来ますんで、旨そうなの用意しといてください!」
パン屋「はいはい、待ってます。朝の分もちょっとだけおまけしといたから、行きの車で食べて」
ムカイ「おっ、やった!」

ラジオ、流れ続けている
マコトとトコ、やってくる

マコト「おはようございます」
ムカイ「あっ……マコトさん、おはようございます」
マコト「おはようございます。ほら、ご挨拶して」
トコ「お兄ちゃんおはよう!」
パン屋「マコトさん、今日は何にする?」
マコト「ええとね、バゲットを一本、干しブドウとクルミのを五切れ、それとオリーブオイルひと瓶もらえる?」
パン屋「はいはい。いつもありがとう」
トコ「干しブドウいっぱいで、クルミはすくなめのにしてよね!」
パン屋「はい、どうぞ。お待たせ」
マコト「ありがとう。ほら、トコ行くよ」
トコ「じゃあね!」
パン屋「はいよ。まいど」
ムカイ「さよならあ」

マコトが去っていくのを見ながら

ムカイ「……朝っぱらから変な人に会っちまった」
パン屋「マコトさんは学者さんよ。ちょっと変わってるけど、だいたい学者さんってそんなもんでしょ」
ムカイ「天才とナントカは紙一重って言うじゃないですか……脳みそにカビが生えてるかヤドリギが花を咲かせてるかぐらいの違いですよ。っていうかね、そもそも、男がいい年してあんな……」
パン屋「しつこいねえ、仕事はいいの?」
ムカイ「え?やっべえ、こんな時間!」


丘の上、カオル宅(兼研究所)。

マコト「おはようございまーす」
カオル「おはよう。おつかいありがとうね」
マコト「いえ。バゲット一本、干しブドウとクルミのを五切れ、オリーブオイルひと瓶……で合ってましたか」
カオル「ばっちり」
トコ「お昼が待ち遠しいなあ」
マコト「そうだね。今日のメニューはなんですか」
カオル「ジャガイモのオムレツと、ルッコラのサラダ。あとはそうねえ、どうしよう」
トコ「トコはおにくがたべたいなあ」
マコト「お肉か、」
カオル「ああ、そういえばまだハムが残ってるはず。ハムステーキにしましょう」
マコト「あまりお気遣いなく」
カオル「いいのいいの。たんと食べなくちゃね」
トコ「そうよ、トコはレディだから」
マコト「そうだな、トコは、レディだから」

カオル「それで、進捗はどうなの?」
マコト「そこを突かれると痛いですね」
カオル「あら、渋い顔。めずらしい」
マコト「いやあ、小型のテストをしてるんですが、どうも計算通りにいかなくて。そもそもの計算が間違ってるのかもしれない。今やり直してる最中なんです」
トコ「計算で全部うまくいくわけない、って、いつもおとなが言ってることじゃない」
カオル「誰か力を貸してくれそうな人は?」
マコト「いやあ……宇宙工学、特にロケットなんかやるやつ、そういないですからね。地上もわけのわからないことだらけなのに、空の向こうを調べるなんて、道楽だと思われてるんです」
カオル「まあ、そうかもしれない」
マコト「だけど、大きな物理の法則やこの星の成り立ちを知ることが道楽でしかないなんて、そんなこと言うのは学問を否定することですよ。生活に役立つことだけが真理の追求よりも偉いなんて。学問の価値をそこに置くのは間違っているんです。そもそも旧い文明の遺跡を見つけたのも、そこに残っていた書物を解読したのも、最初は金持ちの道楽でしかなかったんだ。彼らの発明は、その書物の山なしに成り立たなかったのに」
カオル「あの人と同じこと言うのね」
マコト「いや、実際、博士の受け売りばかりです、お恥ずかしい」
カオル「大丈夫よ、なんとかなるわ。学会まではまだ日にちも十分あるし……」
マコト「ありがとうございます」
カオル「私は畑に出るわね。夏の豊作のためには今が肝心なのよ」

カオル、去る

トコ「なつのはたけかあ。わくわくするね。さむいのがおわって、あったかくなって、あっつくなって、植物がみんな元気になって」
マコト「うん、そうだね。あっつくなって、野菜も、果物も、たくさんできるよ。なにより夏は木苺が美味しいんだ」
トコ「木苺?」
マコト「そう、」

チコ「宇宙は、甘い匂いがするんだって。ちょうど、木苺に似た、甘い匂い。」

マコト、なにか聞こえたような気がして、振り返る

トコ「マコちゃん?」
マコト「あ、」
トコ「どうしたの」
マコト「考えごと」
トコ「何考えてたの」
マコト「内緒。僕は少しこもるから、ちょっと遊んでおいで」
トコ「えー、つまんないよう」

締め出されるトコ

トコ「そりゃあ、遊べるんならもっと遊びたいんだけど」

諦めて、カオルの書斎へ歩いてゆく
チコ、トコをみつめる


チコ「赤い実をつける木になりたいと思った。あなたの庭で、小さな木陰を作って、あなたの休む場所を作りたかった。あなたが喉の渇きをおぼえたときに、口にする実が、わたしの枝にあるようにと、そう思った。だけど、」

回想。カオルがキッチンに立っている。

カオル「きれいなお水と木苺を、鍋に入れて、火にかけるのよ。甘酸っぱい香りを煮詰めていく。水かさが減ったら砂糖を入れて、焦がさないように。仕上げのレモン汁は絶対ね。これでおいしい赤いジャムが出来るわ。熱湯で消毒した瓶に入れて、一週間くらいはもつはずよ。」
チコ「いい匂いですね」
カオル「うちの人、トーストにはこれって決めているのよね」
チコ「博士、甘いものがお好きなんですね」
カオル「そういうわけじゃないのよ。この星の外に満ちている匂いを感じたいんですって。呆れちゃうわよね」
チコ「匂い?」
カオル「宇宙の匂いは木苺の匂い、っていう記事が、古い新聞にあったんですって。アストロノーツは船に戻るとみんな、宇宙には独特の甘い匂いがあるって言う。その正体を調べてみたら、木苺やラム酒の香りの成分がごくわずかに見つかったんだって」
チコ「こんな甘い香りがするんですか?嘘、」
カオル「ほんとう。でも、嘘でも素敵じゃない?星空の香りのジャムよ」
チコ「ほしぞら……」

チコ、鍋を見つめる

チコ「鍋の中には潰れた木苺がてらてらと濡れた光沢を放っていた。赤い光。老いた星の光だ。いずれこのジャムは瓶の中に閉じ込められて、私たちがさじをつけてもつけなくても一週間の命、その事実が、その色が、どうしてもかなしくて。」


カオルの書斎
トコ、古ぼけた絵本を読んでいる。

トコ「あかいろは血の色です。血が赤いのは生きている証拠だけど、血が流れるのはつらいことです。だからあかいろは、生きていく苦しみの色です。
みどりいろはあかいろの反対の色です。だからみどりいろは、赤い血をもつ生き物が死んだときの色です。赤い血の生きものの死体が、くさって、土の栄養になるから、だから木の葉はみどりいろをしています。
……むかしむかし、ある日、みどりいろに光る竜のうろこがまちに降ってきました。うろこは細かく、とっても冷たく、まるで雪のように光っていました。
そのうろこは、雲の向こうで竜が怒ってあばれたために落ちてきたものでした。竜のいかりを浴びて、たくさんのひとが死んでしまいました。
今も何頭もの竜が、雲のむこうにひそんでいるのかもしれません。うろこをきらきらさせながら、人の姿を見はっているのかもしれません。」

同じ頃、マコト、研究室でメモを手に夢うつつ。

マコト「『翡翠橋へ。花を。せめて、花を。』……やっぱりぼくの字だ。何だっけ、これ……それにしたって、翡翠橋って。ここより山奥じゃないか。何があるっていうんだろう——ちょっと疲れてたか。」

しかし、どうしてもメモが気になって仕方がない。しげしげと眺める。


場面はパン屋へ
朝同様、ラジオが流れ、パン屋が店にいる。
ムカイが寄ってきて、声をかける

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