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真鶴 | 絵日記

真鶴イラスト

小さく、やさしく。

 1年前の冬。これから何をやっていきたいのかと将来に対する漠然とした焦りを感じていたときに、雑誌で目にした“泊まれる出版社”というフレーズに魅かれ、〈真鶴出版〉を訪れた。〈真鶴出版〉は、神奈川県の西の端っこの真鶴というの港町にあり、1日1組限定の宿を営みながら、真鶴にまつわる出版業を行っている。

 箱根と熱海という国内屈指のリゾート観光地に挟まれながら、真鶴は昔ながらのまちなみがそのまま残っている。背戸道といわれる、細いクネクネとした石垣の道に、みかんの木。船の帰りを見守るように、港のまわりを家々が段々続きに立ち並ぶ。半島の先には、豊かな御林の森がみえる。商業ビルやショッピングモールのような大きな建物はどこにもない。真鶴には〈美の基準〉というまちづくりの条例がある。今から30年前、バブル景気に日本中が沸いていた頃。リゾート法の制定により、各地で次々とホテルやゴルフ場の建設が進むなか、当時の真鶴の町長はこれでは真鶴の景観が失われてしまうと危機感を覚えた。国の法律では、このまちの景色を守れない。真鶴は、独自のまちづくりの条例を制定した。それが〈美の基準〉である。〈美の基準〉は一冊の本にまとめられていて、真鶴役所などで誰でも購入することができる。内容は、規則で縛りつけるのではなく情緒的なものが多い。〈美の基準〉は私たちにまちについて考えることを求めている。味のある印刷と挿絵に親しみを感じながらも、表紙の“Design Code”という表記に、これがバブル期に役所がつくったものなのかと、鳥肌が立つ。条例が制定されて27年経った今(私と同い歳)、これからの社会の向かうべき姿を模索する人々が、このまちを訪れはじめている。誰もが経済成長の渦のなかにいたあの時代に、これ以上の発展よりも止まることを選んだ真鶴は、どこよりも未来に向かっているんだと思う。

〈真鶴出版〉では、はじめて宿泊するゲストに2時間程度のまちあるきを行っている。観光スポットをまわるものではなく、教えてもらわなければ見落としてしまいそうな真鶴らしいまちなみを、宿のオーナーである友美さんが一緒に歩きながら教えてくれる。すれ違う町の人々や、昔ながらの精肉店や干物屋の前を通ると、お店の方が友美さんをみて声をかけてくれる。真鶴の暮らしにぐっと近く。

 “小さく、やさしく”という言葉を、真鶴出版でよく耳にする。私はこれまで、“大きく、強く”あることを良しとする社会しか知らなかった。だからいつも、できるだけ早く、できるだけ忙しく生きていないといけないと思っていた。でも、真鶴ではなんだかそうではないらしい。かつて、まちが開発よりも止まることを選んだときのように、本当の意味の“発展”とは、前へグイグイと押し進めることではない。“強い”の反対は“弱い”ではなく、“やさしい”なのかもしれない。。

 はじめて真鶴を訪れて1年、私は定期的に真鶴出版の仕事の手伝いをさせてもらった。月に数回、一泊二日の真鶴勤務。その時々に合わせて、出版と宿どちらの仕事も手伝う。この数年で、真鶴には、ひとり、またひとりと、おもしろい人々が集まって来ているみたい。素敵なお店も増えている。でもそれはまちを切り開いていく発展とは違う。みんな〈美の基準〉に共感して移り住んでくるから。30年前の思いがまちを守っている。仕事をやめて、どうにか自分らしい働きかたを探したいと思った時、真鶴にやってきてよかったと思う。小さなやさしくあることを選んだこのまちに私は未来をみた気がする。


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美の基準

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隣駅にある江の浦測候所もよい





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