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再会

まこちゃんと初めて話をしたのは、去年の春頃のこと。

その日の彼女は、あまり機嫌がよくなくて、私に関心がなさそうだった。

まこちゃんと、彼女のお母さんと、私。

3人でいるのに、まるで私はいないかのように時間が流れる。私は、普段触れ合うことのない歳の離れた子どもに対する接し方がわからず、戸惑っていた。

まこちゃんは、東京生まれの、9歳の女の子だ。よく喋るし、よく動きまわる。自然が大好きで、いまは東京から遠く離れた、海のある街に住んでいる。

彼女は、普通の小学校に入学したのだけれど途中から行かなくなってしまい、いまはフリースクールに通っている。毎日、海で泳いだり、自然と触れ合ったり、さまざまな体験をしているようだ。

先日、彼女と再会する機会があり、前に会ったときよりも少し大きくなった彼女と、前に会ったときよりも少しだけ親しげに話をすることができた。

私は、彼女が学校へ行っていないことを知っているのに、「学校ではいつも何をしてるの?」と、筋違いな質問をしてしまったのだけど、彼女は、

「学校には行ってない。学校なんか行くもんか」

「でも、毎日、海には行ってる」

と、堂々と話してくれた。

海なし県で生まれ育った私は、海へ行く習慣も機会も滅多になく、これまでの人生においても両の手で数えられるくらいしか海に足を運んだことがない。

海へ行きたい、泳ぎたい、というような強い欲求を抱いたことはないのだけれど、彼女の話に刺激されて久しぶりに海へ行ってみようと思い立った。

久しぶりの海との再会。
照りつけるような暑さ、きらきらと輝く水面。

まこちゃんがいつも泳いでいる海は、どんな海なんだろう?


まこちゃんは強いな、と思う。

子どもながら、学校には行かないということを自分で選択して、それを正当化している。もちろん、親の力も大きいのだけど。

「学校なんか行くもんか」と、あまりにもはっきりと自分の意見を主張する姿に、私まで勇気づけられる。

私は不登校を経験したことはないのだけれど、自分がそのような状況だったら、どう感じただろうか、と思いを巡らせる。

きっと、私は彼女のように堂々とはしていられない。みんなと同じように学校に行かない自分を責めて、罪の意識に似た後ろめたさを感じて、苦しんだのではないかと思う。

集団や常識という枠から外れることの、こわさや、切なさや、寂しさ。

私は、そういうものを真正面から引き受けるほど強くないから、行きたくない学校にも行って、子ども時代をなんとなくやり過ごしてきた。

それに、彼女のような年齢のときはおろか、つい最近まで、自分のやりたいことなんてわからなかった。

ただ、決められたレールの上を大人しく歩いて、世間から与えられた宿題を淡々とこなして。

それが悪いわけではないけれど、「自分はこうしたい」という素直な気持ちに気づいて、大切にしてゆくことは大事だなぁと思う。

まこちゃんは、どんな大人になってゆくのだろう?

その成長を見守りつつ、私もまた、自分の気持ちにしたがって、ときには子どものような我儘も聞いてあげて、心豊かに成長し続けられるといいな、と思う。


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