与えること、奪われること
私が心身を壊したとき感じたのは、私はまわりから何かを奪われている、ということでした。
もう奪わないで、放っておいてほしい。
からだがよくならなくて、感情のコントロールもうまくできないとき、ずっとそう思っていました。
一体、何を奪われているのだろう。
エネルギー、優しさ、愛…
言葉にすると陳腐だけれど、それは、私の中にある、形がなくて、あたたかいもの。私にとって、とても、とても、大事なものでした。
『愛するということ』の中で、エーリッヒ・フロムは、愛は与えることだと述べています。
与えることも、奪われることも、自分から相手に何かが渡っているという点では共通しています。
では違いは…?
与えるというのは、相手に何かを渡すことが自分の気持ちに沿っている行為です。一方、奪われるというのは、相手に何かを渡すことが自分の気持ちに反している行為です。
違いは、自分の気持ちを尊重しているか、ということです。
私は、心身を壊す前、家族や恋人、友人、職場の人たちに、優しさや愛を与えたいと思っていましたし、与えていると思っていました。
でも、実際は、自分の気持ちを無視して、相手の気持ちばかり優先して、何かを与えているつもりでいながら、奪われているという感覚を知らないうちに蓄積していました。
自分の気持ちを尊重するということは、自分に対する愛をもつことだと思います。
『愛するということ』の中でも自己愛について次のように書かれていて、自分に対する愛をもつことの大切さを再確認しました。
そして、自分の気持ちを尊重するとき、好きなことをやるのと同じくらい、嫌なことをやらないのは大事なのだと、私は身をもって学びました。
嫌なことをやらないのは難しいように思えるけれど、実は、常識や慣習に縛られているだけで、やらなくてもいいことまで引き受けているのかもしれません。
これからは、少しでも嫌だと感じたことは、本当にやらなければならないのか考えてみて、やらなくてもいいことはやらないことを心がけて、自分の気持ちをちゃんと尊重してあげられるようになりたいです。
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