お婆ちゃんの梅エキス
「風邪を引いたらお婆ちゃんの梅エキスを飲みなさい」
1ヶ月のヨーロッパ滞在。
気候が合わなかったのか、そのうち大半が体調不良だった私。
そんな私は日本人のルームメイトが持ってきたお婆ちゃんの梅エキスに頼りがちだった。
私が彼女に喉の痛みを伝えると、
「お婆ちゃんの梅エキス飲み!なんでも治るけん!でも外傷と熱は治らんけんごめんなあ」
と言う。
(方言間違ったら注意されるので怯えています)
つまり、彼女はお婆ちゃんの梅エキス信者なのです。
実際その梅エキスに効力があったのかは分かりませんが、その梅エキスの効力を信じて毎日飲み続けた私。
彼女はお婆ちゃんの梅エキスでありとあらゆる体の不調を治してきたらしい。
人はバックグラウンドの表象
いつの日からか強くそう思うようになった私は、その時改めてそう思った。
過去が今をつくる、今が未来をつくる。
すごく当たり前だけど、それに気づくとなんだか不思議な感覚になって、くすっと笑いたくなる面白さがある。
それこそ風邪をひいた時の対処も人それぞれで
風呂に入らないタイプ
OS-1飲むタイプ
冷えピタは冷蔵庫常備するタイプ
とりまおかゆタイプ
お婆ちゃんの梅エキスタイプ
とかね。
きっと、今までの人生経験から自分の中に染みついたタイプで、各々そのタイプが違う。
ちなみに私は風呂に入らないタイプ。
OS-1に頼ったことはなくて、
冷えピタは貼ってるのが可愛いみたいな所あるよね、の考え方をする捻くれ者で貼ったことなかったけど、去年熱が出た時にその効力に脱帽
おかゆはちょっと苦手(実家で作ってくれたお母さんありがとう)
その人に纏わる1つ1つにその人のバックグラウンドを感じる
そうやってみんな生きてきたんだな、と思う
同じ20年でも自分とは全く違う20年の時間があったと思うとゾクゾクする
そんな感覚
お婆ちゃんの梅エキスと同じで、
自分が過去に抱えた澱のようなトラウマを簡単に拭うことはできないから
思いもよらぬところで拒否反応がでたり
誰かの言葉、映像、音楽にふと涙を流したり
今日を生きるのに精一杯になったり
明日なんて来なければいいと思ったり
全部全部それもあれもどれもこれもバックグラウンドの表象なんだなと。
今の自分に疑問を抱いた時、その答えが過去にあることも案外多い。
部活人間だったからか、年上の人の「全然タメ口でいいよ〜!」には慣れなくて上手くできない
過去に人に怖いと言われてショックだったからか、未だに1番言われたくない言葉は「怖い」
理由は分からないけど、暴力的な言葉を使う人と高圧的な大人は少し苦手
そしたら今この瞬間も自分の表象形成タイム?
なんてちょっと重いか。
私のnoteが誰かのちょっとした何かになればいいな。
コンビニで買ったゆで卵の半熟具合が丁度良かったハッピーとか、
集合時間に数分遅刻しそうだったけど、電車が遅延してて一本早いのに乗れたからギリギリ間に合ったラッキーとか、
それくらいの何かでいいんだ〜
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