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エッセイ : テーマ「未熟」

 「相手は人間だ。話せばわかる。」

 これは、私が電話をかけるときに心の中で繰り返す呪文。
電話の相手は知人ではなく、大抵は医者や美容院、子どもの学校や市役所。
つまり、この呪文は要件を伝えなければいけないときの緊張を解くための言葉。
相手も仕事をしている人間なので丁寧な対応をしてくれることは分かっている。
それでも「相手に伝わらず、怒られたらどうしよう」と私の心は不安でいっぱいになってしまうのだ。

 そのため、準備は万全にして臨む。
例えば、伝える要件をメモに箇条書きにしたり、予約であれば、カレンダーとペンを手元に置いたり。
一度電話のシミュレーションを頭の中で繰り返す。
電話一本かけるのにどのくらい時間をかけているのか、
と我ながら呆れてしまう。
 さらに困るのは「確認して折り返し電話します。」と言われたとき。
折り返しの電話が果たして何分後にくるのか、そわそわして落ち着かない。
万が一、かかってきた電話を取り損ねでもしたら、
自分から折り返しの電話をしたほうがよいのだろうか、
そのとき、一言目に何を言ったらよいのだろうか、
とまた逡巡してしまうからだ。

「〇〇の件で折り返しの電話をいただいたのですが、電話に出られず、折り返しました。」

まるで、手紙を食べてしまった黒ヤギと白ヤギのやりとり。
電話に出た相手が要件の本人ではなかった場合、
繋いでもらうための説明まで考え出すと、本当に疲れてしまう。
だから「折り返しの電話は決して取り損ねまい」と携帯電話を肌身離さず持ち歩き、しまいにはトイレの中まで携帯を持っていく羽目に。
そして、無事に電話での要件を済ませると、安堵感に包まれるのであった。

 私が電話を得意になる日は果たして来るのだろうか。
近いうちに全ての要件が人を介さずにインターネット予約やAIによる電話応対になるかもしれない。
私が得意になるのとそれとは、どちらが先だろう。
たとえ相手が人間でなくなったとしても、
「相手はAIだ。話せばわかる。」
と相変わらず呪文を唱えて電話をしている姿も目に浮かぶのであった。

………
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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