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がん闘病記⑤「辛すぎる別れ」


退院と後遺症

大腸の手術後、経過が悪く大変な思いをした(がん闘病記④を参照)ものの、
その後はドレーンや麻酔の管も抜け、点滴も取れて自由の身となった。
そして2021年4月中旬、退院となった。

自宅に帰ってまず驚いたのは筋力の低下だった。
自室は実家の2階にあるのだが、階段を一段上がっただけで膝に痛みが走った。「たった2週間入院しただけでここまで筋力が落ちるものか」と驚いた。

また、手術の傷口から体液が染み出てきて、大変気持ち悪かった。
しっかりとガーゼをあてがわないと肌着が濡れるくらいであった。

そんなこんなで5月に予定されていた肝臓の手術を待っていた・・・

辛すぎる別れ

4月も終わりに近づき、世間はGWムード真っただ中だ。
そのときに知らせが飛び込んできた。

祖母が死去したのだ。
家が自営業で忙しく、幼少期は祖母の家で遊んでもらっていた。
祖母からは漢字の読みを教わったり、世界の国旗の本を音読してもらっていた。今の自分は祖母無しではありえないのだ。

葬儀場で亡骸と対面したときは涙を止めることができなかった。祖母は心臓を悪くして入院生活は長く、折しもコロナ最盛期で面会もかなわず、久しぶりの再会がこんな形になってしまうだなんて・・・

お棺には幼少期に読んでもらった国旗の本を入れた。
自分もいずれは「そちらの世界」へ行く。
その時には、この世でできなかった恩返しをしたい。
そう思いながら、祖母の骨を拾った。

もう治療をしたくない

祖母の死はかなり精神をえぐった。
毎日無気力でうつ状態が続き、前向きに考えることができない。
ついに限界が来てしまった

「ステージ4なんだからどっちみち命はない。もう治療なんかやめて命の終わりを静かに待とう」と決心してしまった。

しかし、決心をしても腑に落ちない自分もいた。また葛藤が始まった。自分はどうも諦めが悪い性格のようで、結局「死ぬのなら最後の手段がなくなってから」と考え直し、治療を行う決心をした。

そして2021年5月、再び静岡がんセンターの門をくぐるのであった。

がん闘病記⑥に続く・・・

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