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18年前の浜松市飲酒死亡事故

毎日毎日、様々な事件・事故が起きている。
オウム真理教の一連の事件や秋葉原通り魔事件のように事件から10年、
20年たっても語り継がれていく事件もあれば、何事も無かったかのように忘れ去られていく事件もある。

私は過去の新聞記事を読み漁るのが大好きだ。
なぜなら過去の事件・事故から教訓を学び続けることができるからだ。
そんなとき、ある1つの事故のニュースを発見した。
これは18年前のちょうど今頃、静岡県浜松市で起きた惨劇である。当時の新聞記事をもとに内容を紹介する。


事件概要

2006年7月30日午前2時過ぎ、浜松市中央区佐藤の信号機のある交差点を青信号で南方向から進行してきた乗用車に西方向から猛スピードで赤信号を無視して乗用車が突っ込んできた。南方向から進行してきた乗用車には市内の会社員Aさん(32)とその妻(25)、Aさんの同僚Bさん(39)が乗っており、Aさんの妻とBさんが死亡、Aさんも重傷を負った。Aさん夫妻は結婚して1年目を迎えたばかりだった。
赤信号で突っ込んできた車の運転手は飲酒運転だった。

容疑者について

赤信号で突っ込んできた車の運転手は磐田市内でコンビニ店員として
勤務するS(35)であった。
検察の調査ではSは事故の直前、浜松市内の飲食店で2時間にわたって
ビール350㎖と焼酎1合を飲み、乗用車を運転した。
Sは現場から700m西の地点で飲酒検問を突破しようと対向車線を逆走、
パトカーに追跡され、現場から400m西の地点で赤信号を無視した。
ここで警察は追跡を断念している。おそらく事故の可能性を考慮したのだろうが、Sは現場の交差点に制限速度を56キロ超過した時速96キロで進入し、
Aさんの乗用車と衝突するのである。(下図参照)
現場は浜松市の中心街からほど近く、交通量もそれなりに多い。


Sは危険運転致傷罪などで逮捕され、供述では「酒を飲んでいたので逃げた。適量範囲だったので、気を付けて運転すれば大丈夫だと思っていた」と話した。


裁判

Sは危険運転致傷罪などで起訴され、2006年9月27日に初公判が静岡地裁
浜松支部で開かれた。Sの人物像に関しての記事は無かったが、
傍聴したAさんの妻の父親は「気の弱そうな普通の若者」と表現している。
また、彼は「飲酒運転の怖さを改めて感じる」と述べている。これは、恐らくこの公判の1カ月前に発生した福岡市での飲酒死亡事故(註1)を受けてのものと思われる。
Sは起訴内容を大筋で認めた。

10月24日に第2回公判が行われた。ここでは遺族の陳述が行われた。
Aさん「自分だけは大丈夫だという過信が事故を招いた」
Bさん妻「あまりにも身勝手だ」
これに対し、Sは「取り返しのつかないことをした」と頭を下げた
また、Aさんの妻の父親は事故直後、取材に対し「殺人事件と考えている」
と答えている。

11月14日 論告求刑  懲役15年
検察「被害者に全く落ち度はなく、2人を死亡させ1人に重傷を負わせるという刑事責任は重大。2001年の危険運転致傷罪新設後の判例を見てもこれほどまでの悪質、重大事件はまれ」

12月12日 静岡地裁浜松支部 判決 懲役13年
裁判長「身勝手極まりない犯行で酌量の事情は何もない。被害者の無念さや遺族の心情は察するに余りある」

また、Bさんの遺族はSとSの車を所有していた親族経営の会社に約6600万円の慰謝料を求める裁判を起こしており、2008年3月に約5500万円の支払い命令が出されている。

編集後記

この事故から今年で18年目となる。
刑期満了であればSは2019年に出所し、今年で53歳になっているはずだ。
実はSの勤務していたコンビニを私は知っている。
現在もそのコンビニは営業を続けている。Sが働いているのかどうかは知るよしもない。

飲酒運転による死亡事故は令和になっても後を絶たない。
このような事故で苦しむのは被害者だけではない。加害者家族も苦しむことになる。秋葉原殺傷事件の犯人の弟は「死ぬに勝る生きる理由がない」と言葉を残し、自殺した。
加害者家族の支援を行っているNPO法人「World Open Heart」の阿部恭子代表によると加害者家族からの相談内容の内訳は
「結婚が破談になった」・・・39%
「進学や就職をあきらめた」・・・37%
「転居を余儀なくされた」・・・36%
だという。(出典は下記リンク)

Sは事故当時35歳であった。
確かに親の監督責任うんぬんという年回りではない。
しかし、Sの家族はもしかしたら、誹謗中傷などに苦しんでいたのかもしれない。

交通犯罪は被害者、加害者の双方の人生を大きく傷つけ、狂わせる。
運転者一人一人が自他の生命を尊重する気持ちを持つしかないのだ。

※加害者の氏名については、社会的に重大な事件であるものの、刑期を終えていることや加害者家族の人権を考慮し、イニシャル表記としました。

参考資料と註

【参考資料】 
静岡新聞 2006年7月31日朝刊 8月2日夕刊 8月3日朝刊 9月27日朝刊 10月25日朝刊 11月15日朝刊 12月12日夕刊 2008年3月26日夕刊
中日新聞 2006年8月3日朝刊

註1 2006年8月25日、福岡市の「海の中道大橋」で一家5人の乗る車に福岡市職員、今林大受刑者(当時22)の車が追突。車は海に投げ出され、幼い子ども3人が死亡した。今林は当時酩酊状態で危険運転致死傷罪などで逮捕・起訴され、2011年に懲役20年が確定した。
 


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