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【読書メモ】実力も運のうち 能力主義は正義か?

かの有名なハーバード大学教授マイケル・サンデルによる、2020年に出版された「The Tyranny of Merit」の邦訳書である。サンデルの思想の特徴は、民主的なコミュニティを通じた共通善の追求を掲げ、功利主義や市場主義を厳しく批判することにある。その立場から本書で論じられるテーマは、メリトクラシー(meritocracy;能力主義、功績主義)である。

能力主義による分断

19世紀以降、人種や性別、出自によらず、能力の高い者が成功を手にできる平等な世界を、我々は理想としてきた。社会の近代化に伴い、学校教育の制度化、普及化とともに社会に浸透したとされるメリトクラシーは、家柄など本人が変えることが出来ない属性により生涯が決まってしまう前近代的なしくみ(アリストクラシー)よりも、はるかに公正かつ効率的で望ましいものであると一般的には考えられてきた。

しかし今、こうした能力主義がエリートを傲慢にし、敗者や弱者との間に未曾有の分断を生み出している。能力主義を大義名分とした新たな格差が深まりつつある現代社会。サンデルは、このメリトクラシーが、なぜ、いかにして支配的になり、それがいかなる弊害を持つに至っているかを、豊富な事例やデータを元に論じている。

ちなみに今から半世紀以上前、イギリスの社会学者マイケル・ヤングは、自著(メリトクラシーの法則、1958年)の中で、既に能力主義について警告している。

いつの日か階級間の障壁が乗り越えられ、誰もが自分自身の能力だけに基づいて出世する心に平等な機会を手にしたら、何が起こるだろうか。勝者には驕りを、敗者には屈辱を感じさせ、社会的軋轢を招く原因になるだろう。

世の不満の源

能力主義社会では、低学歴や低スキルの人々は低い賃金に甘んじるのみならず、社会的敬意の喪失による不満や怒りを感じざるを得ない。

2016年以来、専門家や学者はポピュリストの不満の源について議論してきた。根源にあるのは、失業と賃金の停滞だろうか、それとも文化的排除だろうか。はっきりと線引きするのは難しいが、労働は経済的であると同時に文化的なものだ。生計を立てる手段であると同時に、社会的承認と評価の源でもある。だからこそ、グローバリゼーションがもたらす不平等がそれほどの怒りと反感を生んだのだ。

「やればできる」「自分の運命は自分の手の中にある」といった考え方は諸刃の剣であり、勝者を称える一方で敗者を意気消沈させる。能力主義が蔓延る現代社会においては、すべては自業自得であり、敗者には才能や意欲が欠けていたという感情を抱かせるのだ。

能力主義による結果は自業自得???

封建社会や貴族社会では、金持ちはたまたま運が良かった。農奴はたまたま運が悪かった。能力主義社会では、すべては自己責任となる。

ただし、能力主義を保証するルールが守られていない。富裕な家庭の子供は幼少時から過度な教育を施されていてスタート地点が違ったり、不正入学や企業へのコネなどが蔓延っている。スキルを獲得し、キラキラな学歴を得て、優良企業に採用される機会が均等に与えられておらず、真の能力主義は実現できていない。

では、それが完璧に実現できたと仮定して、正義に適う社会となるのだろうか。

能力主義にとっての理想は高い流動性

下位数%に位置する人が、1世代で上位へ転身出来るような高い流動性が能力主義の理想である。すなわち不平等の「正当化」である。不平等の「解決」ではない。この点では、階級を簡単には乗り越えられなかった(流動性の低い)旧来の貴族社会と変わらないと言えるだろう。

能力主義社会にとって重要なのは、成功を得るために必要な機会がすべての人々に均等に与えられていることであり、そこでは各人の能力差が無視されている。

生まれつき与えられた能力や才能は宝くじのような幸運に過ぎず、それを自らの努力の結果であるとする能力主義は、的外れな自惚れに過ぎない。

サンデルの強調する「共通善」

人間として最も充実するのは共通善に貢献し、その貢献によって同胞である市民から評価されるということだ。この伝統に従えば、人間が根本的に必要とするのは、生活を共にする人々から必要とされることである。労働の尊厳は、そのような必要に応えるために自分の能力を発揮することにある。それが善き生を生きることを意味するなら、消費を「経済活動の唯一の目的であり目標である」と考えるのは間違っている。GDPの規模と配分のみを関心事とする政治経済理論は、労働の尊厳をむしばみ、市民生活を貧しくする。

能力主義的選別が、成功は自らの手柄だと我々に教え、恩義の意識を壊してきた。労働の尊厳を回復するために、能力の時代が破壊した社会の絆を修復しなくてはいけない。

そしてサンデルは、巨万の富や栄誉ある地位には無縁な人でも、まともで尊厳ある暮らしができるようにすることが目指すべき社会のあり方だと言う。社会的に評価される仕事の能力を身につけて発揮し、広く行き渡った学びの文化を共有し、仲間の市民と公共の問題について熟議することによって。

所感

民主党寄りとされてきたサンデルが、オバマのメリトクラシーへの肯定的姿勢について厳しく批判している。メリトクラシーの建前を掲げる社会において、実際には這い上がる手段をもたず、侮辱され忘れられていた人々の怒りをサンデルは述べている。民主党が示しがちだった偏りへの真摯な諌めとして。

ひとつ留意しておきたい点は、本書が、栄誉ある地位にある筆者によって書かれている、ということだ。地位ある中道左派の重鎮は、得てしてこのような結論を掲げていることが多い(以前紹介したジョゼフ・スティグリッツのプログレッシブ・キャピタリズムなど)。

ポジション・トークとして、話半分で聞いておいたほうがよいだろう。世の中には、生まれた時点で背負ったハンデや環境を乗り越えて活躍している方々は星の数ほどいらっしゃるのだから。不平等への嘆きや不満、環境の言い訳を減らして、自分のやりたいことや目標に邁進しましょう!(ええ、自分への戒めです。)




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