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家族のはなし-母

わたしは家族がすきだ。
両親は生まれてから今に至るまで、現在進行形で愛情をドバドバ注いでくれている。

わたしの家は山と田んぼがすぐそばの田舎の小さな集落にあり、家には塀などはないのでどこからどこまでが庭なのかいまいちわかっていないようなところにある。
庭には、両親が植物好きなこともあり、たくさんの木や花が植えられている。母はとくにバラがすきで、小さい頃にはひとつひとつ香りを嗅がせてくれていた。

母はおかしな人だ。よくある"おっちょこちょいの天然お母さん"とかそんなかわいいものではない。ほんとうにおかしな人なのだ。母親おかしな人エピソードはたくさんあるのだが、生まれて初めて自分の母がなにか変だと気づいたきっかけがある。

幼いわたしは、庭仕事をする母親の横で姉と一緒に遊んでいた。一瞬だった。目の前にいた母親がアッ!と叫んですさまじいスピードでわたしの横を駆け抜けた。
見ると、母親は車のボンネットの上に両手をついて、なにかを捕まえているようだった。
あまりの勢いにわたしも姉も全く笑えない。
興奮気味に戻ってきた母親は、不自然なくらいにきらめく虫、タマムシを持って戻ってきた。(今思うと、結構な速度で飛ぶタマムシを瞬時に認識して追いかける母親、動体視力がすさまじいのでは?)
虫かごにタマムシを入れ、姉とわたしに向かって「描いてみようか!」と言った。
柿の木の下のベンチに座り、未だに状況が理解できていないわたしはあれよあれよと自由帳と色えんぴつを手に、タマムシのスケッチをさせられていた。
そもそも難題すぎないだろうか。タマムシは角度で驚くほど色が変わる虫なのだ。この世に産み落とされて5年ほどのわたしにはキツい課題だった。
描きあげたそれを見た母は「こんなに丸い形してるかな、もっとよく見てもう一回描こう!」と高らかに言った。難題である。それでも一生懸命、なぜ書かされてるかもイマイチわからない中、わたしはでぶっちょのタマムシと、細長いタマムシの二匹を不器用ながらに描きあげたのだった。

母は変だがかわいげのある人だ。今でも父は母のためにタマムシの死骸でも喜ぶと思って拾ってくる。そして母はそれに喜ぶ。
そんな母のことがわたしはすきだ。

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