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日記 【求】爆発的な生

7/13(木) 日記

私がライブハウスによく行っていた時代、特に2015〜2018年くらいに見ていたバンドたちの大半は解散したりメンバーが抜けたりしていて、私ももうそのバンドたちのライブに行くことも少なくなった。

の、うちの、あるバンドのライブに行った。

そのバンドのライブに行くたびに見かける熱心なファンたち(大人の、というか、お母さん世代のグループ)がいるのだけど、本当にいつ行ってもいて、というか逆にいなかった日を見たことがなくて、この日ももちろん最前列にいた。

私は今でもこのバンドの曲を聴くし、好きだし、だから現にライブにも行ったのだけど(対バン相手が去年とてもハマったバンドだった、というのもあるけど)、正直新しいファンが増えてる感覚はまるでない。
あの熱心な大人ファン層がずっと彼らを支えているのだなと思ったらなんだかとても悲しくなった。

むちゃくちゃ失礼な話だけど、本当に悲しくなってしまった。
いや私含め、ずっと好きだと思わせ続けてくれるのはすごいことなのだけど!!

音楽に限らず、閉ざされた空間・ほぼ変わらない人の中だけで交信が完結してしまう感じとか、新陳代謝がまるでない絶望的な永遠性みたいなものが、とても怖い。


転職して半年、とりたてて大変なことも頭を悩ませることもストレスもなく過ごしている。不満も不安も特にない。

ひさしぶりに電話したかつての上司に「優秀すぎて持て余してるって聞いたよ〜さすがじゃん〜」と言われ、それは優秀すぎるからではなく大変な仕事を一切していないからだな、、と思った。

同じ部署の先輩と「やることがないわけでもモチベーションがないわけでもないんだけどね、なんだろうね」と言い合って、良くも悪くもこの先もずっと変わらないであろう状況に「怖いですね」と笑い合った。

「緩やかな死、という感じですよね」と言ったら「めちゃくちゃ分かるわ、、」と深呼吸してた。

で、そのときに、あのバンドのライブのときに感じた絶望的な永遠性が、つまりは緩やかな死のことだったのか、ということに気づいた。

私はずっと緩やかな死に怯えてるんですね、、?

と、思ったのだけど、同時に日常って基本そうじゃね、、????ということにも気づいて天を仰いじゃった。

だ〜〜から私はパン屋でバイト始めたり見知らぬ他人と文通したりどうでもいい日常を日記に書いて晒したりしちゃうのかもな〜〜

緩やかな死が怖いから、常に爆発的な生を求めてしまうというか。
爆発的な生、字面だけ見るとあまりにもエネルギッシュだな

感光した写真って好き、特別感あって

ライブ中隣にいたお洒落な女の子のTシャツが、よく見たらそのバンドのグッズだった。

初めて見る子だったのだけどとても可愛くて、やっぱりどう考えても失礼だったな、と思った。
きちんとお客さんは増えているのかもしれないし、仮に増えていなかったとしてもそれを部外者の私が勝手に悲しがるのってフツ〜〜〜に傲慢だった。

私の退屈と世間の退屈を結び付けたりしちゃいけませんね、、
これからも緩やかな死の中で爆発的な生を求めながら生きるか、、

この日記が誰かを傷つけたりしてないといいな

親友が撮ってくれた初夏の私

怒られることをしようよ退屈がいつも居座る街のはずれで #tanka

#ほんじつのBGM #櫻坂46 #静寂の暴力



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