手段なのか目的なのか
手段なのか目的なのかをよく考えることがある。
それを考えるきっかけになったのがキャンプだ。
キャンプへの愛着は、自分の実家での幼少期の経験に根ざしている。両親がアウトドア好きであり、子供の頃はキャンプや登山によく連れて行ってくれた。その頃の経験は、純粋な喜びとして残っている。(親に感謝)
自分の人生において、キャンプは常に非日常的な経験を楽しむための手段として位置づけられてきた。しかし、時が経つにつれて、世の中はキャンプブームになっていった。その幕開けが何だったのかは正確にはわからないが、ますます便利なキャンプギアが登場し、それを誇示できるキャンプ場も増えていった。
キャンプ場は徐々に、持っているギアの見せ場になりつつあり、キャンプ装備の競争が主目的化しているのではないかと感じるようになった。少し言い過ぎかもしれないが、そういった環境で、「これは本当にキャンプの本質なのだろうか?」と疑問を持つようになった。
また、キャンプの魅力の一つは、自然とのふれあいや日常からの離脱であったが、最近ではキャンプ場が都会のような快適さを提供することが普通になってきている。そのうち「キャンプ用テレビ」とか「キャンプ飯専門レストラン」とかも出てくる日が来るんじゃないかと思うこともある。笑
一方で、自分はキャンプそのものが嫌いになったわけではなく、キャンプを批判する立場に立つつもりもない。ただ、これらの変化を見て、「キャンプは手段なのか目的なのか」と考えさせられる。
手段なのか目的なのかについては、自分はあまりこだわらない。個々の人々が楽しめているのであれば、その方法や動機は問わないと思う。人それぞれの楽しみ方があり、それが大切なのだ。
自分がキャンプ好きであることに変わりはない。笑
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