ずれる

昨日の続きのような話

「高齢出産でもいいけど若い方が学校行事とか習い事のあれこれ楽よ」等クラシックスタイルな意見を伝えてくる方々の中に特殊な人がいる。
「友達減っちゃうわよ」というものだ。
周りの友達に子供が出来たら当然子供にかかりきりになる。話す内容も変わってくる。疎遠になるぞ、ということだと思う。


……だから何だ?
私が出産してもお互い自分の子供で忙しくなるのだから会う回数は減る。例えば小さい子供がいる友人が私と同じくらいの頻度でオタ活していたら「子供大丈夫?」と私から言うと思う。
「友人と共通の話題(結婚生活・子供)がないと困る」という理由で子供を産む人なんていないだろう。令和だぞ。ご近所づきあいとママ友以外のコミュニケーションの場なんて有り余っている。

SNSが発達しすぎた今だからこそ、こんなふうに感じることが出来るのだろうか。例えば30年前。職場の同僚も学生時代の友人もみんなママになった時、「中々会えないし会っても話題が合わない。寂しい」と思う人がいたのかもしれない。

それとも私が、家族という最も身近な人との繋がりを嫌っているせいだろうか。普通の人は恐らく家族が大好きだ。親はいつか死ぬ。生まれ育った家庭はなくなる。そうなる前に家庭を築き、1番身近で大好きな繋がりを作らなければと思うのだろうか。

子供を産むことは立派だ。そして歳をとってからも1人でいることは何かと不便なことがある。それはとてもわかる。しかし「じゃあ結婚して出産しなきゃ」と考えたことは無い。
みんなしてるから、家族が欲しいから、友達と疎遠になるから(?)、パートナーとずっと一緒にいるために、子供は夫婦のかすがいだから、この人(パートナー)の子供が欲しいと思ったから。
色々な理由を聞いたことがあるがピンと来ない。
「お金持ちと結婚したら将来安泰!」とかならまだわかるが、お金に困らない幸せよりも他人と生活し子供を育てる苦痛の方が勝ってしまう気がする。

他人と生活し子供を育てることを「苦痛」と思っている時点でもうズレているのだろう。
やぎ家は基本お見合い結婚で、義務付けられているかのように子供は数人産む。母も祖母も親戚の女性陣も、「そうしなければいけないからした」という人ばかりだ。家と子供とド田舎の狭すぎる人間関係に縛られ、心の病気を患う人も多い。
(ちなみに家庭を支えられない男性も用無し扱いなので大変そうだ。私の叔父は昔心臓の病気で入院した時、祖父母から「稼ぎが減るなら離婚しろ」と言われていた)

つまり、結婚子育てを幸せに感じている人が周りにいなかった。だから同僚や友人の話を聞いても「頑張ってるな」と思うだけで「私も!」とはならないし、結婚を勧める人達は水素水を売る人のように見える。

結婚や出産を急かす人って「お前も早くこの苦しみを味わえ」って意味で勧めてきてるんじゃないの?そんなひねくれた見方をしてしまう。それくらい私にとっては遠い世界のことで、自分事として考えることができない。


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