生まれて死ぬ

キャンプのRTAをする動画。最速で「焚き火を囲んで人生の話をする」くだりで
永田さん「人生とは?」
恐山さん「生まれて死ぬ」
と言う。

動画の内容とは関係ないし、恐山さんも深く考えて発言したものではないと思う。生まれて死ぬまでが人生。当たり前のことだ。しかしとても心に残っているし、病んだ時はこの言葉に慰められている。恐山さんは自分の言葉がメンヘラに響いていることをよく思わない気がするけれど事実なのでしょうがない。すみません。
生まれたのは私のせいじゃないし、生まれた以上生きなければならない。自ら死ぬのはよくないと、法律や宗教や世間が言っている。生まれたから生きて、死ぬ時に死ぬだけ。今私がここにいる理由も価値もそれだけ。それ以上の何かをつける必要は無い。死ぬまでに何をするかは重要じゃない。
病んでいる時は過去も今も未来も押し寄せて自分を責める。実体があったりなかったりするタスクをこなさなければならないと思い込む。
そんな時、やらなければいけないのは「生まれて死ぬ」だけと考えることで、少し楽になっている。

この動画は5人全員「らしい」ところも好きだ。
優しいパパのかんちさん。大声で騒ぎながら場を回し、経験者のかんちさんに聞きながらきっちりこなす永田さん。懐かしのユニクロコートと恐らく顔バレを防ぐための帽子、火起こしなどリスナーからつつかれそうなところは慎重にやるARuFaさん。ナゲット焼いたりヨッピーさんに電話したりと自由だが肉は皆に食べさせる加藤さん。一生懸命やる気持ちは伝わってくるがわたわたしてるしアウトドア企画なのにロングコートの恐山さん。オモカスがイメージする「オモコロのみんな」そのものでいい。

オモコロチャンネルに限らず、演者が「らしく」あることはオタクにとって嬉しいことだ。演者の方はそれをどう思っているのだろう。その通りにすればいい、というウケる道筋がわかって嬉しいだろうか。それとも「自分はそんな人間では無い」と嫌な気持ちになるだろうか。

私は「やぎさんて○○だよね」という言葉はあまり好きではない。(本音かお世辞か嫌味かわからないので聞いていないのと同じ)
しかし病んでいる時は「今迄の自分はどうでこれからどうあるべきなのか」等考え込んでしまうので、YouTubeのコメント欄のように「このひねくれた人生観はやぎっぽい」とか言って欲しくなる。

生まれて死ぬだけなのに、自分も他人も何者なのか知りたがって、喜んだりガッカリしたりしている。これからもずっとこの感情はあるんだろうなと思うと嫌になる。しかし、こんな人間のかなり根元の部分にありそうな感情もなくなったらいよいよだなとも感じる。



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