臆病だったらいいのに

今流行りの感染症に罹患し、2週間人にも会わず、働かず、停止した日々を過ごした。味覚嗅覚は依然として戻らないが、こんな生活ッ‼︎と恨めしく思う事もなく、寧ろもう少しこのままプラスもマイナスもなくぼーっとしていたいという惜しさに駆られつつも、明日1週間を過ごしたコロナホテルを退くことになっている。

この期間、私は2ちゃんのまとめ動画を熱心にYouTubeで見漁った。怖いもの、面白いもの、泣けるもの、ジャンル問わず関連に表示されるものを漁っていった。

"2ちゃん名スレこそ匿名性がもたらした英知の集結"だと私は捉えている。資本主義の外にあっても心を動かすもの、予定調和の外で生まれたもの、みたいなのが物心ついた頃から結構好きで、それがいま学校で専攻している分野にも関連しているというのは少し余談であった。


話は逸れるが、いま私は大学4年の夏休みの終盤にいる。就活も終わった。モラトリアムも普通に過ごせばあと半年。今の私、なんとなくコンサル風にいう自身の生涯価値というか、この先自分の人生に付加される価値みたいなのを理解出来たような気になってしまっている。そういうのが怖くて自身の哲学をあれやこれやと盾にしてこのモラトリアムを引き延ばそうとする人達を私も何人か知っている。しかし私にはそんな強引さも無ければカリスマ性も無く、"哀しい大人"に現在進行形で半歩を踏み入れている。

自分語りになってしまうが、昔こそ私も勉学に没頭し、県では名を馳せる進学校へと通っていた。しかし大学進学、就職内定と色々妥協を重ねているうちに、どうやら私の人生は可もなく不可もなく、アンパイに落ち着く形になってしまった。

周りを見回すと有名企業に就職をする者、地元に帰る者、名のある大学院に進学する者、精神を病んでしまった者、様々いる。だがそれらの情報をなぞってもそれは所詮、他人の人生に過ぎない。


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「匿名性の強い大きな街で、そこそこの波に揉まれて、なんとなく忘れ去られて、死にたい」

そんな思いがいつからか私にはあり、ゆえに就職先も特段知り合いもいない遠くの場所を選んだ。人生の第4章『持続可能性と諦観の日々』をスタートさせるには何となくそのほうが良い気がしたからだ。

しかしその一方で、野心というか、爪痕を残す為の爪というか、そういうものを捨て切れていない自分がいて、今はそれを飼い慣らすのが苦しいと感じる。それはきっと特に誰に捨てる事を強要されるものでもないだろうし、かと言ってこれまでの自身を見ていると何処かで成就出来るようなものでも無いだろうとも思う。目の上のタンコブ、みたいな奴だ。



思い返せばこれまでの大学生活、マッチングアプリや飲み会、更に水商売のアルバイトまでも利用して、多く人生を「知る」ことに時間を費やしたように思う。その動機はきっとあまり人と関わらなかった幼少期の反動にあったように思うし、その一方で奇人と関わる事を好んだ中高時代からの性分の延長にあったようにも思う。勿論、直接聞くというようなしらけさせることこそはしなかったものの、何度か接触を試みたり、チャットで会話を交わしたりするうちに、その中である程度パターンを見出して、多くの人の人生を「知っ」た気になった。

でも一体、「知っ」てなにになったというのだろう。



ある日、コンカフェで接客した40代前後の男性がいた。男性も私と同様声が通らず、五月蝿くなる店内で十分に会話は出来なかったが、そんな中でも彼は趣味であろう「音楽」の話をたくさん、レコードのパッケージを見せながら話してくれた。

それだけだと然程記憶にも残らない男性であったが、その1ヶ月後くらいだったろうか。偶然タワーレコードでその男性を見かけたのだ。彼は試聴コーナーのヘッドホンで耳を塞いで、私が店内で探し物をしている最中、ずっと何かを聴いていた。


「自己実現」について考える時、私は今でもよくあの背中を思い出してしまう。


きっと今の私じゃまだ、きっとこれからも、娑婆に出たとて何も変わらない日々を塗り重ねることになるのだろう。


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