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非題
今回の記事はきっしょくなると思う。
私は魂の代謝が活発な人が苦手だ。
もう少し分かりやすく言うと、喜怒哀楽が激しかったり、こだわりが強かったり、自分について語ることが長すぎたり。(そんなお前がなんでnoteに縋っているのかという話だが)
あとはそうだな、男女問題に拘泥されてる奴らとか。これについては特に学生時代のコンプレックスが強力なためか「そんくらいどうでもいいだろ」って思ってしまう。最近、Twitterで痛いヤツ叩きみたいなアカウントが流行している。具体的にどのアカウントとは言わないが、ああいうのにリプ欄で共感してる奴らを餌にこっそり1人でたのしんでいる。
だから反対にそういう「牙」的なモノを抜かれた存在とは安心して付き合える。人を否定もしないし肯定もしない。ただ「おもしろ」さだけを追及していて、いつ死んでもいいなと思ってるような。無気力無意思な感じの。
あとはそんな自分を他人に押し付けることに必死で相手の反応に無関心な人とかでもいい。こちらの振る舞いを強要されないことに安堵を覚える。
とりあえず人間性にあまり干渉されたくないので自分はまず何に対しても敬語を使う。
きっと私がそうなってしまったのは、振り回されるほどまでに何かに陶酔した後の絶望感とかが怖いからなんだと思う。完璧にそれを終わらせられなかったら、もうそこから戻れなくなってしまったら、そういう恐怖に対する感情をガードするためにまず自身の喜怒哀楽を覆い、他人に踏み込み過ぎず、安心できる要素だけを抽出して、いつでも逃げ出せるくらいの関係性に留めておく。
人は掃いて捨てるほどいる方がいい。何度でもリセットできるという錯覚、誰も見ていないという安心感。一瞬目を離した隙に見失なうくらいの場所で、居たか居なかったかわからないくらいが丁度いい。これは統合失調症の裏返しか?
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