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口下手な子ども同士が生み出す癒し空間

自分がコミュニケーション下手だと、つい子どもには社交的になってほしかったりしませんか? 友達に恵まれてほしいとか。

私は小学生の子どもがいるので、そのぐらいの年代に絞っての話しかできないんですが、必ずしも会話が上手でなくても、それは決して悪いことではないかなあと思います。

だって、気を遣いすぎたり、空気を読んで無理に話を振ったりするのって大人でも疲れますよね。

子どもの頃からそういった気遣いはしなくてもいいんじゃないでしょうか。

「ありのまま」ってことですよね。

でも子ども同士でも何を話したらいいかわからない間柄だったりすると、何だか気まずい雰囲気っていうのは十分感じられるわけで・・・。

しかしその雰囲気の中からどこか居心地のいい場所を探っていくっていうのが、コミュニケーション力が生まれていくような気がします。

ある時はその場にいることが嫌で立ち去ることもあるかもしれない。でもそんな時は否定しないでその気持ちを認めてあげた方がいい。

無理にコミュニケーションとらせようとすると、なんだかその子のありのままを否定するような気がします。

もちろん挨拶とか、そういった基本的なことはできるようになった方がいいかもしれないですが。

でも今は口下手なら口下手でいいんです。

しかしそんな人見知りだったり、なかなか自分から話しかけることが苦手な子でも、ちょっとした共通点だったり、傾向というか性格が似ているような子ども同士の場合は、意外に「面白いな」っていうことがあります。

例えば、お互い人見知りなんだけど、絵を描くなどの共通の好きなことがあったりする。しかし普段仲良しのお友達なわけではない。

そんな2人があるきっかけで同じ空間になっても、描画ツールを与えてあげると、ひと言も会話せず、同じテーブルで黙々と絵を描いていたりします。

でもなんとなく感じるんですが、2人に「無言の安心感」のようなものが漂っている気がするんです。

話をしなくても2人には「言葉ではない会話」がある。

大人がいなくなって2人きりになっても平気で黙々と描いていたりします。

そんな場を目の当たりにした時は、アトリエに来てるわけでもないのに、すごいなあって感動してしまった。そこにいるだけで自分までなんだかほっとして癒される。

幼稚園の年少くらいだと、お互い会話がなくても同じ空間で遊んでいることが、イコール一緒に遊んでいることだと聞いたことがあります。

別にあれやこれや会話していなくても、1人の時よりも熱中してそれぞれが遊んでいる。別々に遊んでいても楽しいんですよね。

ああ、小学生でもそれに近いことがあるんだなあと思いました。

小学生高学年くらいの女子同士のぺちゃくちゃと仲良くお話しする感じはよく目にするんですけど、こんな無言な空間で黙々と筆を走らせている2人を見ると、共通の熱中できることから生まれる連帯感って本当にすごいと思う。

だからそんなに社交的じゃなくてもそんなに心配することないかなって。

同じようなタイプの子に出会えたりすると、びっくりするようなシナジーを生み出すかもしれないです。

ありのままを認めて、気長に待ってあげる方がいい。







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