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私の目指す稼ぐという意識と、旦那のそれの違いに気付いた話。

自分から選択した主婦という位置。

かれこれ11年になる。

主婦というのはフットワークがいい。

どういった意味合いでそう言っているかというと、子供が体調を崩した場合に対処が可能であるということ。

主婦以外の仕事を持っていないので、仕事を休まなければいけないというプレッシャーがない。

それは自分にだけでなく、子供たちにとってもとても大きな安心感であったに違いない。

その安心感は普段意識することはないが、もしフルタイムで勤務していたら?という想像をすれば、それはどれだけ心の安定の手助けになっていたかを感じることができる。

家事も突き詰めれば底がないが、ある程度自分で仕事量を調節することができるし、それにより一息つく時間もコントロール可能だ。

しかし稼ぎがない一方、生活に必要な物以外、例えば本や自分に興味があるものを購入したいと思う時は、我が家はお互いの同意がなければできない。

もちろん本や廉価な洋服ぐらいならいいが、ある程度価格のするものは勝手に購入しないことにしている。

その生活様式は家庭によって様々だろう。

この頃のことだが、次第にその生活に不満がでてきた。

「自分の興味あるものぐらいお伺いを立てなくても買いたい・・・」

「できれば自分で稼いで、自分のお金で買えたら」

「自分の好きなことで開業したい・・」

そういった思いだ。

他のご家庭の家計の管理はどちらが担当しているのかなど聞いたことはないが、我が家の場合基本的に旦那が管理している。

人に任せられないタイプなのだ。

それは妥当なことで、なぜかというと私自身若い頃お金に関しては「ザル」だったと自覚しているので、今後も現状のままでいいと思っている。

しかし子供がいたって自分の好きなことに多少お金を使ってもいいだろうという思いがあるし、しかもそれが独身の頃のように自分の稼いだお金でできたら・・・そういった思いが強くなってきた。

まさに、自分はただ養われている人にすぎないのではないか。

何もお金を生み出さない人ではないか。

将来の夢ぐらい持ってもいいではないか。

そう考えると自分の今いる位置や環境が虚しくなってくる。

ある日のこと。旦那に打ち明けてみた。

自分の欲しいものは自分で稼いで買いたいと。

いちいちお伺いを立てるのはやりにくい。

それに対する旦那の返事はこうだ。

「自分だってそうだ。自分も自分のことなんてあんまりお金を使っていない。自分が常に考えていることは、子供たちの教育資金を貯蓄していくと同時にどうやって老後の資金も準備していくかということ。」

「自分が将来こうしたいということは、2次的なもの、まずは教育資金などが準備できてから現実的に考えることだ。」

私はそれでも旦那は働くことによって稼ぐことができるし、キャリアを積み重ねていくことができるではないか、私は主婦で何もキャリアがないということを訴えた。

旦那は言った。

「自分の稼ぎが自分のお金なんて考えたことがない。自分のお金なんて無い。それに今の仕事がキャリアになっているかなんてわからない。ただ思うのは会社員はいつどうなるかわからないので、その時に困らないために自分で起業なり何かできるようにならなければいけない、ということ。」

旦那は自分のことよりもまず一番に考えていたのは、子供たちを育て上げるための資金をどう調達していくかということだった。

そしてその次に自分たちの老後の資金もあればいい。

彼は特に趣味もないこともあり、他に大きなお金を使う必要もない。購入するものといえば主に本や日用生活用品ぐらいだ。

携帯などもために買っているが、常に中古を買い通話料金の定額なプランに乗り換えたりしていて、生活費をいかに抑えるかというこを目的にした行動。

光熱費なども安いところに乗り換える。

私といえばどうだろう?

子供たちのことはもちろん大事だが、自分が現在、または将来どうあるかを常に考えているかもしれない。

考えてみればその考え方は若い頃からそうだ。

それはおかしなことではないと思う。人って自分が大事だし、一度しかない人生チャレンジしてみたいことはある。

実際家族に理解をしてもらい、そのチャレンジに協力してもらっている人もいるはずだ。

しかし旦那から言えば、それは2次的なもの。

最初はまず子供の教育資金。そしてできれば老後の資金もある程度。

それからのチャレンジであると。

なぜチャレンジという言葉が出てきたかというと、私は好きなものでお店を開業したいと考えていて、その資金を貯めるためが一番の働きたい理由であると伝えたからだ。

何もなければ子供たちが巣立ってからだって自分の生活が続くのだ。

その時に生きがいがあってもいいではないか。

その準備をするために働きたい。

それが私にとっての現実的な考え方だった。

しかし彼にとっては反対にそれは非現実的なことであった。

現在教育資金が満足に貯まっていないなら、まずそれを貯蓄する目的に働くのが現実的ではないか、と。

その後に、人を説得できる知識や技術があったらいくらでも開業できる。

お金を借りてもいいし方法は見つけることができる。

うん、そうかもしれない。

そういった考え方もあるのか。

そうすると冷静に、そしてちょっと違う視点から自分の進もうとしている道を俯瞰してみることができた。

それならば、もし仕事を始める時はなるべく自分の好きなことに合わせて見つけた方がいい。

資金を貯めたいからとにかく業種は何でもいい、ということは辞めたほうがいいかもしれない。

まず教育資金や生活費のための仕事ならば、好きな業種で働いたほうがいいからだ。

彼だって現在の仕事は小さい頃から興味のあることである。

そしてある程度そのお金を貯めることができて、その時さらに自分の好きなことへの知識や経験が周りを説得できるほど蓄積していたら、始めることは不可能ではないかもしれない。

だいたい、その時には今の関心が薄れていることだってありえる。

今は趣味として小さく楽しんでいてもいい。

そして趣味が高じて仕事になる可能性もある。

今から大きな目標を掲げてそれを目的に働かなくても、あくまでも趣味として経験を積んでいってもいいのかもしれない。

それはひとつの考え方。

人によってそんな馬鹿なと思うかもしれないし、千差万別であるだろう。

しかしそれは我が家に起きた「小さな事件」でもあった。

家族を持つ、養うという意識が私と旦那で大きく違うことを再認識したと同時に彼に感謝の念を抱いた。

彼は普段言葉にしないが、常に家族のことを考えて働いてくれていたのだ。

そんな「親」として当たり前のことを忘れていた自分。

うん、今一度スタートラインに立ってみて「家族のため」に働いてみよう。










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