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鐘の声


ようこそようこそです、今週は佐々木です。

私は前々回から、お寺の鐘について書いてきました。


聞きようによってはただの雑音。


聞きようによっては仏様の喚び声。


自分が、仏様によって喚ばれていると、聞いていけるのが、大きな転換点じゃないかなと思います。


雑音としか聞けなかった私が、お慈悲のぬくもりとして、感じていけるこの変化こそ、仏様の働き場所だったのでしょう。


このぬくもりを少しでも伝えていくのが僧侶の役目でもあります。



教えてあげる立場ではなく、伝えさせていただく立場であるため、

布教師ではなく、布教使と呼び慣わしています。


確か浄土真宗以外は、「使」ではなく「師」を用います。


はじめてのお使い、を例に出すと少しズレるかもしれませんが、

お使い、です。


言われた通り買ってくる、のであって、自分で買うものは決めません。決めるんだったらろくなものは多分買いません。様々なはからいをして、「これは家に備蓄がないかもしれない」「明日これ使うかもしれない」「安いし買うか」


自分で決めるなら、本来の目的とずれていきます。



お使いはそうではありません。

言われたものを買います。



仏教を説く時にもそうだというのです。

自分が考え教えてあげる立場ではなく、


仏様に喚ばれたそのままを説きましょう、ということで、「使」。


布教使と言います。(何も考えないということではありません。伝え方は一生懸命考えます。しかし中心は変わりません。)




布教使として全国を歩かれた方に、藤澤量正さんという方がおられました。私は直接お話を聴いたことはありません。御門徒のみならず、会社のセミナーなんかにもよく出られるほど有名であったようです。


この方は、晩年、病気によって、布教使にとって命ともいえる、声を失います。

手術をし、京都府立医大病院に入院したそうです。


ある程度落ち着き、いろいろ思い出しながら、声を失ったこと、それによる孤独さを感じながら入院生活を送っていたようです。


おそらく、見舞いに来てくれても、しっかりと返事ができない。

自分の思いを等身大で伝えられない。

これまでお世話になった遠方の御門徒に会えない。


等々の寂しさであったでしょうか。



病室から窓を開けると京都の北側の街や、北山をよく眺めることができたそうです。

ある日の早朝手術を終えて3週間ほど経った頃、ふと気がつくとお寺の鐘が聞こえ、急いで窓を開けたそうです。

その音は、早朝の肌寒さをくぐりぬけ800メートルほど先のお寺から届けられたものであったそうです。

その音に、何とも言えない暖かさを感じ、孤独の思いを抱いていた胸が包み込まれるような思いを持ったそうです。

その鐘の声に、1人ではなかったと思わず合掌したことを忘れることはできない。

と、回想しておられます。


どこまで行っても、私一人を忘れはしない、大慈悲の仏にしてみせる、と誓われた仏様の声を味わったのだと思います。


鐘の声も、お念仏の声も、私を決して離さないとお誓いの仏様を感じていくご縁です。

雑音たらしめるこちらの心に働き続け、その心を包み込むほどのものだったのでしょう。

その藤澤さんは、梵鐘に
「十方に
大慈悲あふれ
鐘冴ゆる」

と、書いてもらったそうです。

ただの鐘の声ではない。ただの人間の念仏じゃない。

そこに大慈悲がまざまざと姿を現し、私に働きかけ、命の意味を知らせます。

書くご縁を頂きありがとうございました。
まさに、他力催促の大行であります。

最後に、前回も書いた才市さんの言葉を書いて終わります。合掌


わたしゃしやわせ よい耳もろた
ごんとなったる 鐘の音
親のきたれのごさいそく
浄土へやろをの親のさいそく


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