師走に
師走の色が濃くなってまいりました。今年もあと2週間 !? ギョッとしてしまいます。
慌ただしいこの時期、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
今週は岩田が担当です。
師走の意味や由来、語源は諸説あるそうですが、よく言われるのは、
〈 師走=経をあげるために師僧が東西を馳せる月、シハセ(師馳) 〉
が語源。という説のようです。
我々のご宗旨、浄土真宗はこの語源とはちょっと事情が異なります。
浄土真宗では10月頃から翌2月頃にかけて(地方によって異なります)、宗祖親鸞聖人のご命日法要である「報恩講」が真宗各派のご本山や全国の末寺で勤められます。
親鸞聖人のお徳を偲びご恩に報いる法要で、我々にとって大事な大事な法要です。
法要と云えば儀式事と思われるかもしれませんが、浄土真宗では読経の後にご講師の先生から法話(仏様のお話)を聞かせていただく”お聴聞” の時間が長いのです。
それは「仏様のお話をよく聞きなさいよ」と教えてくださった親鸞聖人のお言葉を忠実に守り、まさにご恩に報いようとする姿です。
年間を通して法話会の機会はありますが、お寺が賑やかに活気づくのがこの報恩講の時期です。
お世話になった行信教校の先生方もご講師として、全国各地のお寺と本拠地を行ったり来たり。「お忙しそうだけど、ご体調大丈夫かしら?」と勝手に心配することもあったほどです。
浄土真宗の “師僧が東西を馳せる” のは、師走限定ではないのです。
私は行信教校に入学するまで体験したことがなかったのですが、関西では平日でも昼と夜に2~3日通して報恩講が勤まるお寺があります。
また、ご本山やお別院では、ご命日前夜のお通夜に当たる晩に夜通しの法話会が開催されていました。
760年前、親鸞聖人のご往生が近づいているその晩に、近しい方々が集まって仏様の深いお慈悲を夜通し味あわれた。同じ過ごし方が今も続けられている。
驚きとともに、驚いている自分に疑問符がついたんです。自坊でも報恩講は勤めていたのに、頭では意義を理解していても、心に沁みていなかったんですね。
一年一年と報恩講を、一念一念とお念仏を積み重ねてこられた人々の思いがそこにある。
その果てしなさと、現代まで途切れることなく受け継がれてきた事の重大さに、初めて頭が下がりました。
学生時代は講義が終わって少し腹ごしらえをして、先輩や仲間の車に乗せて貰うなどして、大阪府内のお寺を夜のお聴聞巡りをしました。
ご出講のため講義をお休みされている先生のお話を夜のお堂で。各寺院のご門徒様方や先輩・仲間とともに聞かせていただくのは、なんだか新鮮な感じがしたものです。(そして、お聴聞の後は恒例の飲み会でした)
聖人の娑婆での最後の夜のご様子はどうだったろうか。
仏様のお話が聞こえていたならば、きっと喜んでくださっただろう。
「ワシにも喋らせろ」とか思われながら、伏せっておられただろうか…いや、そんな口悪いことは仰らないか…。
奥の間に聖人がお休みになっているような。聖人の息づかいが聞こえてくるような。側で控えさせていただいているような。
そんな感覚に陥った夜でした。
こんな風に書いていると、篤い信仰者のようなイメージを抱かれるかもしれませんが、法話を聞きたくてウズウズするようになったのはここ数年のことです。
ちゃんとした方に怒られそうなのですが…でも恥を忍んで正直に言ってしまいますが、
「法話を聞くことになんの意味があるのだろう」というのが、以前の私の感覚でした。
一方でずっと抱えていた疑問の答えが、ここにしかないんじゃないか。ここにあって欲しいな。いや、ここにあって貰わないと困るのよ。とも考え始めていた気がします。
その疑問とは、生死の問題でした。
患者さんに「なぜ死んでいかねばならないのか」と聞かれて言葉に詰まり。
「なぜこんな病気になったのか」と問われて「それは病原菌が体に入って…でもその菌は薬でやっつけることは出来るから…」としどろもどろになった。
求められているのはそんな答えじゃないと分かっているのに、本質に答えられない。
私自身も心の底に持ち続け、保留していた問いでした。
科学は客観的事実を分析して説明することは出来ますが、私自身や私の大切な人といった、私にとっての主観的ないのちの意味を見いだす役割は持っていなかった。
そのことが分かるまでも随分時間がかかりましたが、そこから仏教を本腰入れて聞き始めるまでも、歳月を要しました。
聞き始めてみると、浄土真宗の法話では常にその問いの答えだけを伝えようとしてくださっていることが分かりました。
ただ、私が聞きたい「私の生と死のゆくえ」が主語として語られるのではなく、「私」は目的語であり、「阿弥陀様」が主語だったのです。
???
どういうこと?って思われますかね。上手く言えないのがじれったいのですが。
阿弥陀様は私のいのちをどのようにご覧になっているのか。その目線で語られるからこそ、私の狭くて小さなモノの見方が大きく転換されることになるのです。
阿弥陀様が主語になったとき、私が「生と死」と断絶してしか考えることが出来ないいのちのあり方は、繋がりを持った一連のいのちの営みとして語られるのです。
「この娑婆で息絶えるとき、阿弥陀様が私を、お浄土に生まれさせる。そして、無限のいのちを救っていく仏に、阿弥陀様が私を、してみせる。
そのために、今も、いやもっと昔から阿弥陀様は私にはたらき続けておられる」
問いの答えはストレートに出ていましたが、一足飛びで頷けるワケがありません。
こちらは無意識のうちに、私を主語に聞こうとしていたのです。
さらには、「生きるのは楽しいこともあるけど、生きるのが辛くなる程の苦しみもある。でも死ぬ時はもっと次元の違う苦しみを伴うんだろなぁ」としか思えない私です。
それを阿弥陀様は「生きることも素晴らしい、そして死ぬることも同じように素晴らしい」
とご覧になっているんだそうですから。まったく理解が出来ません。
私では分かり得ることの出来ない阿弥陀様のおこころを聞きながら、自分の腹落ちを求めていた私はスタートで躓いている状況でした。
聞き方を心得ず、センスも育っていない者が、はじめから芯を捉えに行こうと力んで、却って的を外すような聞き方をしていたのです。
でも、阿弥陀様って私がどこで躓くのかを全てお見通しなのです。
私が間違っても、間違っても
「こりゃダメだ」と放り出さない仏様であります。
そして阿弥陀様のおこころを話してくださる先生方は、自らも体験しておられるかのように私の聞き間違いを修正してくださる。「こうやって聞くと間違えます」と先回りもしてくださるし、肩の力を抜いて素直に聞き受ける姿を目の前で見せてくださる。
人間には分かり得ることのできない大きなものに包まれているからこその安心を、語ってくださいました。
そんな手厚いフォローを沢山沢山受けて、ようやく、頷くことが出来はじめているようです。自分のことはよく分かりませんけど。
この報恩講の時期をウキウキしながら過ごし、忙しさの中でもお聴聞に出掛けようと画策している。
それって、私が変革させられたってことなんじゃないかしら。
そんなことをボンヤリと考えた、師走の夜でありました。
半ば、思い出話になりました。
今日のところは、これにてご容赦を。
本格的な寒さが到来したようです。
どうぞ皆さま、お身体お大切にお過ごしくださいませ。
南無阿弥陀仏
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