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Kさんのこと

こんばんは 今週の担当は岩田です

画像はわが家のニューフェイス、枝垂れモミジの様子です。
羽根突きの羽根のような物体に魅了され、パチリ。モミジって実が成るんですね。
赤く色づいた羽根は少しでも遠くに実を飛ばそうとするモミジの生存戦略です。モミジの方がよっぽど懸命に生きているなぁ…ボォッと生きている我が身を振り返るひとときであります。

さて今回はKさんから教えられたことを留めておきたいと思います。
良かったらお付き合いくださいませ。

Kさんは地元のお肉屋さんの番頭さん的存在のお方でした。
そこは家族経営のお店で、毎年12月31日には一族総出で臨まなければ仕事納めが出来ないほどの人気店でした。
(ちなみに、名古屋近郊は大晦日の牛肉消費量、特に「すきやき」率が高い土地だそうです。日本全国そうだと思っていたら固有の食文化だとか…)

小柄で腰が低くて、下町の商売人といった感じの気さくな人柄。長話が大好きで、関西弁を聞いたことはありませんが、大阪のご出身でした。
一方で、細やかな気遣いと静かな観察眼で人をよく見ておられた。
さらには、周りの人を生かすことで自らの人生もより良くしていくような、そんな生き方を具現化されていました。
私が知る範囲はしれていますが、お客さんへのサービスはもちろん、共に働く親族に声をかけ、近所の商店の若手オーナーを応援している姿をよく目にしました。
商売の勘と、懐の深さと、繊細さが共存しているお方でした。

自坊のご門徒様ではなかったのですが、父を「せんせ~」と呼び、私達姉妹がお店に行っても右手を軽く挙げて「やぁ。先生、元気?」がお決まりの挨拶。特に父の近況を窺うわけでもなかったので、会話のツカミだったのでしょう 笑
でも、祖母のことは気にかけて「おばあちゃん、この前の肉は気に入ってくれたかな?」と声をかけてくださることがありました。

雑談しながら前掛けの紐に手をやる、何気ない仕草が記憶に残っています。

いつの頃からか、毎年祖母の祥月命日の夜にお参りにお越しくださり、日付が変わる時分まで父と話し込むのが恒例となっていました。

そのKさんとは、5~6年前にお肉屋さんが閉店となってからお会いする機会が途絶えておりました。

久々の再会となったのは、ちょうど1年前のことです。
偶然、私が勤務する薬局でKさんの在宅医療の一端を担わせていただくことになったのです。
(薬剤師が行う在宅医療業務は、お薬のお届けや管理だけでなく、薬に関わる全般をカバーします。ご本人ご家族が安心して自宅療養が進められるよう、医師や看護師など多職種と連携して業務に当たります)

初めてKさん宅を訪問したとき、「おうっ、先生、元気?」と懐かしいフレーズが耳に飛び込んできました。

ベッドに横たわったままの体勢から、右手だけを軽く挙げて。

それ以降2~3週に一回、Kさん宅へ業務でお伺いすることとなりました。
人員配置がギリギリのわが職場では、必要な業務を手短に行い、出来るだけ早く薬局に戻らねばなりません。
でもねぇ、Kさんはお話し好きなわけです 笑

昔父と話をしたこと。祖母に難しい注文をされて“往生した”(おっ、関西人!)こと。お肉屋さんの裏話。肉の切り方講座…などなど、ほぼ寝たきり状態でもお口は滑らかです。
止める隙もなければ、何よりもずっと聞いていたくなるお話でした。

「私が大阪から名古屋に来たのは18歳で…いや、16だったか…兄貴のツテを辿って…」と、人生を振り返って話し出された時には、(ヤバい…60年も遡っちゃったよ) と内心ソワソワ。なんとかお肉屋さんに就職した辺りで話を切り上げ、「じゃ、次回は奥さんとの結婚秘話からヨロシク」とイソイソと失礼する、息抜きのような時間。
そんな業務が続いたのはトータルで3~4ヶ月でした。

ベッドから落ちているところを発見され入院。下痢と発熱で念のため入院。肺炎疑いでまた入院。1年の間に何度も繰り返される入退院。
いつも入院期間は当初の予定より長引きました。

そして先月。GWが覚語の退院となりました。
「とにかく一度、本人の希望通り自宅に帰らせてあげよう。もしそれで寿命を縮めることになっても後悔はしない」
ご本人と一人娘さんとの決断でした。

退院後初の訪問、状況は把握しているもののKさんの様子に少なからず動揺しました。かなり弱っておられ、目線は空を彷徨うか、瞼が開けていられない状態でした。
それでも私に気付いたKさんは「先生、元気?」といつもの挨拶。指先はかすかに震える程度。
一生懸命絞り出すようにお話しくださるけれども、かすれ、途切れて聞き取りにくい。僅かに漏れ聞こえる音と、唇の動きからやっと理解できたのは
「人間はいつこうなるのかわからないものだね」
「ここを通らないことには往けないんだなぁ」
「まぁ、仏さんが包んでくれているそうだから…私には分からないけど」
「最後の締めはアンタ頼むよ」
という言葉でした。

飾りも偽りもない、肚からの言葉です。

「Kさんの話を聞くだけで阿弥陀さんの話を出来ていないなぁ」
私の頭の片隅にあり続けた、ちっぽけな考えは吹き飛ばされました。私が言わなくても心得ておられました。Kさんのいのちがけの道を邪魔しないで済みました。

しばらくベッドの手摺りにしがみついて絞り出される言葉に耳を傾け、「じゃぁ、またすぐ来るから」と玄関に進みかけた時、「ありがとねぇ!」と背中越しに聞こえた声。お店時代に聞いていた生命感溢れるお声のようで、「わぁっ!声出た」と娘さんと顔を見合わせて驚いた、不思議な瞬間でした。

その数日後に救急搬送、5月18日Kさんはご往生されました。

約束していたお通夜のお勤めに伺ったところ、ご親族以外にも見知ったお顔があります。Kさん宅でお会いしていたヘルパーさん、訪問看護師さんです。
近寄って行くと怪訝なお顔をされるお二人。これまでお会いする際には、私は薬局のポロシャツ姿でしたから、誰か分からないのも当然です。
お衣を着ながら「○○薬局薬剤師の岩田です」とご挨拶したのは初の経験でした。

長年看取りの現場におられるお二人が、こんなことを聞かせてくださいました。
「もう残り僅かだって分かってて、あんなに穏やかで落ち着いていた人に会うのは初めてでした」
「搬送直前に酸素濃度が低くて苦しいはずなのに、長いことお話ししてくださってねぇ…お寺の話もしてたよ」

“お寺の話…” 父に確認してみると、Kさんは自身の感じ方・行動に確信が持てないとき、父に問うていたそうです。
「先生、こんなことがあってね、私はこう思うんだけど、これでよかったかな。お経にはなんて書いてあるの?」と。

父個人の意見を求めるのではなく、お経典に生き方を尋ねておいでだったのですね。

あぁ、ここにもおってくださった。人生をお聖教に窺い、その後ろ姿をみせてくださる先輩が。しみじみ噛みしめます。

そういえば、父のお聖教や書籍に貼られた付箋には“K氏”の文字が見られます。
父はKさんの問いになんとか答えようと、そして出拠を示そうと、お聖教に向かわせていただいていたのかもしれません。


行信教校に入学して、「仏法に学ぶ」「お聖教に聞く」といったフレーズを時折耳にしましたが、「~に」という助詞の用い方に、なんだか違和感を覚えていました。

「仏法を学ぶ」ではなく「仏法に学ぶ」 であって、
「お聖教を学ぶ、読む」ではなく「お聖教に聞く」(これは動詞にも違和感がありました) なんです。

仏法やお聖教の内容を知識的に知ることが仏法に触れる目的ではない、という言葉なのでしょう。

もっと具体的にいえば、仏法の中になにを学ぶのか?お聖教を通してなにを聞かせていただくのか?
それが肝心だということです。
ただ、目的語はハッキリしない、隠れています。

それは例えば、生活態度を。他者との関わり方を。私とはどういう者でその者がどのように生きていけばいいのか、といった生きる指針・人生の来し方行く末を。そして、私のいのちの意味と、究極の目的を。

「仏法に学ぶ」といい、目的語を敢えて限定しないのは、その目的が広くもあり、時によって人によって凝縮させることも出来るからなのだと、今は感じます。それだけ緻密であり、奥深く豊かな世界が広がっているのが仏法なんだなぁと、味あわせていただきます。

「仏法に聞く」姿勢を地でいったKさん。私もご法義談義に加わっておけば良かったと悔いるばかりです。どうやってその境地に辿り着かれたのかも気になるところです。
そこのところは、またお浄土で聞かせていただきましょう。

今しばらくは、前掛けをして軽く右手を挙げるあのお姿で、「お経にはなんて書いてあるの?」と、どうか語りかけてくださいませ。


称名

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