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大河ドラマは観てないけれど

こんばんは、今週は愛知から岩田がお届けします。

先日、ふらりと古木の桜に会いに行きました。
その桜の存在を知っていたわけではなく、開花状況、同行者の脚の具合、持ち時間の中でどこまで遊びまくれるか…諸々の条件を満たしてくれて辿り着いたのが、信楽の『畑の桜』でした。

圧巻の一本桜。単に美しいだけではなく、見物客が言葉を忘れて立ち尽くす威厳がありました。ただ、樹木のエネルギーが弱まってきている様子です。
駐車場で出会ったおじさんは「昔はもっと花がいっぱいで綺麗やったんやで」とのこと。
それもそのはず。桜の横にはこんな看板がありました。

ほぉ~、家康さん!
たしか伊賀越えはこの辺りを通られているはず。でもあの時は追っ手や落武者狩りから命を守るのに精一杯。お手植え説だとしても別の時だな。
伊賀越えの時だけでなく“刺客を避けるため”何度もこの辺りを行き来されたのか。生きてる間中、身の危険を感じる人生だったんだな。

桜よりも家康の命がけの日々が気になってきました 笑

仏教を聞き始めて、家康といえば連想されるのが「厭離穢土欣求浄土」の旗印です。今年の大河ドラマでは「厭離穢土欣求浄土」の言葉と家康との出遇いのエピソードは、どのように描かれているのでしょうか。
観ていないので勝手に膨らませてしまいます。

これは「穢れた世界である現世を厭い離れ、清浄な世界である浄土に生まれることを願い求める」という仏教(特に浄土教の)用語ですが、家康はどんな思いでこの言葉を掲げていたのでしょうね。

サラっといわれているのは、家康は「戦国の世」=「穢土」、「戦乱のない平和な世」=「浄土」と見ていた。そして、平和な世を築き上げ統治するため、この語を旗印とした。という程度です。
実際はもっと複雑ですよね。

戦国時代、一寸先は闇の緊迫した状況です。それに加えて幼少の頃から大人の事情に振り回され、二度の人質経験を味わった家康。その胸中と平和な世を望む思いの強さは計り知れません。
「浄土」の文字を掲げながら、乱世を終わらせるために戦さでケリをつける。それが現実的で手っ取り早い手段でもあったのは仕方のないことと、戦争を知らない私は言わざるを得ません。(今、だいぶアブナイですけどね。…と、その話は今は置いておきましょう)

でも、戦さの有無が穢土・浄土の違い目ではありません。
本来は迷いか悟りかで区別されます。この娑婆はどこまでいっても煩悩渦巻く迷いの世界です。

当時の浄土思想、家康の浄土観が分かりませんが、家康ほどの人物であれば本来的な意味はご存じだったはず。
それでも掲げずにおれなかったのは、自らの苦悩と、苦悩から発した平和への純粋な思い、やらなければこっちがやられる現実、加えて兵の戦意高揚、命を落とす者への弔い…そんな色々な思いがないまぜになっていたのか。
歴史に残る大人物の胸中を詮索することはできませんが、
混沌としていて人間くさい、地元の英傑をまた身近に感じたところです。

他者のことはいい。自分はどうだろうかと内側を見つめます。

私は家康の足下にも及ばない、「穢土とは知らず穢土を謳歌している」者です。「厭離穢土、欣求浄土」の順に心に起こる願いであれば、そもそも欣求浄土なんて発想は持ちようもないのです。

若い頃、「人生は苦である」の言葉を聞いて、「仏教っていうのはなんちゅう根暗か」「身も蓋もないこと言わんといて」と、浅~い見方で捉え損なっていました。
「なんだかんだあっても、言うほど悪い世界ではない」と娑婆への執着全開、教えに猛反発。
仏教の根本思想を受容れられず、スタートラインにすら立てなかったのです。

そんな私が色々な目に遭っても根性は変わらずに「この世は辛いから、こんな思いをしないで済む世界にいかせてください」と願ったとします。
一見、「厭離穢土欣求浄土」っぽい願いですが、叶えられたとしても「ここではない、別の苦しみのある世界」にいくのが関の山でしょう。
願っているのは自分に都合のいい世界であって、お浄土ではないのですから。
その時点では本当の意味でのお浄土の世界を知らないのですから、願うはずもありません。

そういう私が浄土真宗の教えを聞き始めて、渾々と聞かされたのは「阿弥陀様のおこころ」でした。
ん?さっきから浄土とか穢土とか、住まう世界・環境の話をしていたのに、「阿弥陀さんのこころ」って…話がぶれた?って思われますかね?(私は自らにツッコんでしまいました)
ところが、「阿弥陀様のおこころを聞く」のは、その「おこころ」によって作り上げられた浄土の世界を知らされることに他なりません。

阿弥陀様は、生きとし生けるすべての者分け隔てすることなく、本当に安らかな境地に導くことを願われました。なんでそんなことを願ったかというと、私たちが自分の力では救われるはずがない生き方をしているからです。
どうしようもない私の生き方を痛み、上から目線ではなく共に苦しみ、その苦しみがわかるからこそ、苦を抜いて本当の幸せを与えたい。そのためにはどうすればいいのかと考え抜かれました。そして、自らの苦しみを差し挟むことなく途方もない時間をかけて修行され、智慧と慈悲の仏様となってくださったのです。

そして、阿弥陀様のおこころと、それによって作り上げられた浄土が一体であるように、私たちの心と娑婆は一体といえます。
穢土と言われる不実で穢れた世界があって、純粋無垢な私がたまたまそこに放り出されたから苦に苛まれるのではない。煩悩まみれの私が生きているから、その土が穢土になる。
生まれた土に責任があるのではなく、私の煩悩・不実性が根本的な問題でした。

教えを身に受け生きる先生方から、毎日毎日阿弥陀様のおこころを聞かされ、それが真実であると知らされた時、「私もそういう世界に往かせていただきたい」と浄土を願い始めました。
同時に「阿弥陀様のおこころが真実であるならば、私のこころは不実であると認めざるを得ないな」とやっと目が覚まされました。

言葉にすればあっさりしていますが、「阿弥陀様が真実」と受容れられるようになるのにも、私が物わかりが良くなったからではなく、長時間に渡る阿弥陀様のお手間がかけられていたことを、今思います。

浄土を教え、浄土を願わせ、穢土への執着から離れさせる。
私の体感としての「厭離穢土欣求浄土」ではない「欣求浄土厭離穢土」の話であります。

さて、厭離穢土欣求浄土と受容れると、今娑婆で生きていることが虚しいことで、もの悲しい気分になりそうです。そんな短絡的な私のことも見通され、手が尽くされています。
娑婆は穢土であり離れるべきであるけれども、煩悩を断ちきれない私に、この土で生きる意味とよろこびが示されています。

「いけらば念仏の功つもり 死なば浄土へまいりなん とてもかくてもこの身には 思ひわづらふ事ぞなきと思ひぬれば 死生ともにわづらひなし」

法然聖人『つねに仰せられける御詞』

生きている間はお念仏に育てられ続ける人生であると、法然聖人、親鸞聖人、そして現に目の前でお念仏をよろこばれている先生方から教えていただきました。
そうでした。この娑婆に生まれてきたからこそ、お念仏の教えに出遇うことができたのです。

「厭離穢土欣求浄土だからといって、急がんでよろしい、まぁゆっくりしていきなはれ。この世はお浄土への、お念仏の道場ですからな。そしてその時が来たら死ぬんじゃない、浄土に生まれて往くんだ。悟りの生の始まりなんだ。」

ニコニコと軽やかに仰ってくださった先生方のお姿やお声つきで思い出す、大切なお言葉の数々。

今日も明日も明後日も、お念仏とともに過ごす日暮らしであります。


称名

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