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100年前の感染症

こんにちは。
緊急事態宣言の地域がだんだんと広まりつつあります。

ウイルスの変異についてもいろいろな情報が出ています。
通常よりも感染力が1.7倍高いとか、すでに日本に入ってきているとか…
検疫も強化されてるようですが、遅かれ早かれ変異株ウイルスは日本に入ってくるはずです。

僕たちにできることは手洗い、うがい、マスク、人混みを避ける等々、いままで取り組んできたことを欠かさず行うだけです。

ここで100年前のスペインインフルエンザ時に日本がどのようなパンデミックであったかを書いておきます。
例によって僕の卒論からの引用です。


以下、引用

~第Ⅴ章~ 日本とその周辺
1.日本での被害
日本では大きく分けて4つの流行の波があった。春の先触れ、第1波、第2波、第3波である。
春の先触れを含めた第1波と第2波(18年春~19年春まで)を前流行と呼び、第3波(19年晩秋~20年春ごろまで)を後流行と呼ぶ。
日本の公式記録と言われている『流行性感冒』の被害記録は前流行で2116万8398人の罹患者、死者は25万7363人後流行では患者241万2097人、12万7666人の死者を出した。計2358万495名の患者と38万5029名の死者を出したと報告されている。

ただし、京都や岩手では多くの死者を出したが19年1月16日以降の死亡者数が記載されていない。ほかにも記述のない部分が多々あり、実際は38万5千人よりも大きな被害を出していたと判断できる。参考として当時の季節性インフルエンザでの死者は2千人~5千人程度であったという。
 
超過死亡(※)という概念を用いて計算すると、前流行では26万647人、後流行では18万6673人、計45万3152人の死亡者になるとされている 。約7万人ものずれがあることがわかる。
 (※)超過死亡とは、ある感染症が流行した年の死亡者数を求める時、その病気やそれに関連すると思われる病因による平常年の死亡水準を求め、流行年との差をその感染症の死亡者とする考え方。

次のグラフは日本の年齢別インフルエンザ死亡率である。これを見てもわかるように、やはり日本のスペイン・インフルエンザも10代後半~30代にかけての死亡率が高かったことがわかる。
(補足:スペインインフルエンザは若年層の死亡率が高かった)

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他の災害の犠牲者数と比較してみると、1886年のコレラ流行で10万8千人。日露戦争の戦死者8万4千人。関東大震災では約10万人となっている 。
このことからわかるように、スペイン・インフルエンザの公式記録である38万人と比べるといかにインフルエンザの流行が激しかったかがわかる。
さらにいうならば、18年11月だけで13万人の死者を数えており、短期間にこれほど多くの死者を出すことは当時の人々にとって経験したことのないものであった。太平洋戦争期間を除くと、日本で最も人が亡くなった期間であるといっても過言ではないだろう。

参考文献:速水融『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ ~人類とウイルスの第一次世界戦争』 藤原書店 2006 239ページ、243ページ参照

参照終わり

100年前も凄惨な状況でした。
スペインインフルエンザの死者で、若年層が多いという事実はあまりに知られていないことです。

今回のコロナウイルスも変異の仕方によっては若年層へダメージを与えるようになるかもしれません。

時間が経過するにつれて致死率が高くならないことを祈りたいです。

Gyopi

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