芝居絵屏風が有名な絵金。
しかし、当時、土佐では芝居は禁止されていた。
『山内一豊公入国以来、剛健質素を持って藩是となし、一切の華美柔曼を禁止し・・・遊興娯楽としては、只、謡曲、能楽、角力、踊位を許すのみにて、浄瑠璃は盲人にのみ許可し、演劇芝居は・・・絶対禁止であった。』(『初代松岡寅八伝』(1933)より抜粋)

それでも、絵金は芝居絵を描いた。
弟子も神官、算盤職人、絵馬、紺屋、土佐凧、米屋など様々な職業のものがあつまった。
その弟子たちに物凄い量の白描を渡し稽古をさせた。

「子供と妊婦さんには見せるな」と言われた絵金の絵。
悪人は人とも思えぬ鬼のような顔で描かれた。
一枚を見れば、その場面の前後まで盛り込んだ構図で描いた。
芝居を見たというよりも、浄瑠璃の台本を読んで、構図を想像して描いたような絵。

土佐では男の子の初節句で武者絵や芝居絵の描かれた横断幕のような幟を門前に飾る習慣があった。

高知の郷土菓子「ケンピ」で有名な赤岡町の西川屋には布で作られた幟が残る。
多くの幟は紙のため残っていない。

芝居絵屏風は氏子によって神社に奉納され、祭礼で多くの見物人に披露される。

田舎の方での芝居には目をつむっていた。
それを見るために城下の者は二泊三日ほどかけて、田舎に芝居を見に行っていた。

地芝居や浄瑠璃は盛ん。
台本にあたる浄瑠璃本などは出回っていた。

≪絵金の年齢と時代背景≫
20歳 葛飾北斎『富嶽三十六景』出版。
23歳 高知城下で疱瘡(天然痘)が流行。
42歳 ペリーが浦賀に来航。河田小龍がジョン万次郎に聞き書き。
47歳 土佐でコレラが流行。
51歳 土佐で麻疹が流行。 坂本龍馬脱藩。
54歳 武市半平太、獄中で切腹。
56歳 坂本龍馬暗殺。大政奉還。
57歳 戊辰戦争。城下で浄瑠璃芝居の興行開始。
58歳 他国から芸人を呼ぶのを許可。
59歳 町中に芝小屋ができ、興行開始。
60歳 廃藩置県。
62歳 岩倉使節団帰国。
65歳 絵金没。

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