湫川 仰角

くてがわ ぎょうかく 小説なんかを不定期に。仰ぎ見る角度で。

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最近の記事

ある射種

 的までの距離は二十八メートル。射手は一本の矢を番え、弓を引き絞り、一点に放つ。矢を放った弦は弓をも弾き、乾いた竹が割れたような音――ツルネを道場に響かせる。  的は動かず、矢を射る射法は一定。ゆえに人体置換技術が普及し、プロユースの義肢によって誰もが完璧な射法を手に入れた時、弓道という武道の競技性は失われた。やがて道場は逃げるように現実から仮想の世界へ居を移した。  ○✕✕✕  ○○○○  二十八メートル先の厚みのない的を狙い、描画された矢を番え、物理演算のもと弓を引き、論

    • ゼロヨンパブリカ チーム橙組【桜年代記】3/3

      Fragment 3:ささのご  僕は桜を知らない。見渡す限りの橙畑しか知らない。  新しいバイオエネルギーの原材料に、病の治療薬に、有用な橙を植え続けた結果だ。  桜とはどんな花が咲くのかな。  桜色とはどんな色ですか。香りはありますか、食べたらどういう味ですか。実は生りますか、樹の肌を触ったら、ざらざらとしますか、つるつるですか、ふかふかですか。  僕は、桜を知らない。ただ物語に残るうつくしさだけを知っている。  僕の先祖が、橙を広めた張本人らしい。電子的な記録は

      • ゼロヨンパブリカ チーム橙組【桜年代記】2/3

        Fragment 2:山田佳江 「ねえパパ、退院したらハナミに行きたい」  娘の言葉に、僕は興味のないふりをする。自分の心拍数が上がっていくのを感じ、ひそかに呼吸を整える。 「ハナミ?」 「昔のアニメで見たの。ピンク色の花の下で、お弁当を食べたりお酒を飲んだり」 「五月になればこの木にも花が咲くから、病院の中庭でお弁当を食べようか」  彼女はありふれた橙の庭木を見上げ、木漏れ日に目を細める。 「だめだよ、ハナミはピンク色の木の下でするんだよ」 「そんなの、アニメの中にしか

        • ゼロヨンパブリカ チーム橙組【桜年代記】1/3

          Fragment 1:湫川仰角  かつて桜には、女神が宿っていた。  古事記によれば、名をコノハナサクヤビメといい、桜が咲映えるように美しい姿だったという。  神話の時代から、桜は美しさの象徴だった。  人々を誘惑する、或いは蠱惑的とも言える何かが、桜にはあったのだ。  都内で働く医師であるS氏は、我が目を疑った。  見目麗しく、院内でも蝶よ花よと可愛がられていた入院患者の少女が一人、中庭の桜の木に蹴りを入れていたからだ。挙句、咲き誇ったその枝振りを手折ろうとしている。