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ゼロヨンパブリカ チーム橙組【桜年代記】1/3

Fragment 1:湫川仰角

 かつて桜には、女神が宿っていた。
 古事記によれば、名をコノハナサクヤビメといい、桜が咲映えるように美しい姿だったという。
 神話の時代から、桜は美しさの象徴だった。
 人々を誘惑する、或いは蠱惑的とも言える何かが、桜にはあったのだ。

 都内で働く医師であるS氏は、我が目を疑った。
 見目麗しく、院内でも蝶よ花よと可愛がられていた入院患者の少女が一人、中庭の桜の木に蹴りを入れていたからだ。挙句、咲き誇ったその枝振りを手折ろうとしている。
「こらこら、ダメだよ折っちゃ」
「……先生」

 彼女の病態は、易出血性疾患。
 血液の凝固作用が働かず、出血が止まらない。
 精密検査による確定診断後に対処したいが、彼女の場合は原因がわかっていない。
 S氏が務める病院には複数人、同様の患者が入院していた。
「桜って生まれた時から見てますけど、最近憎らしく思えて」

「咲くのも散るのも綺麗で、散った後も来年に思いを馳せさせるなんて、ずるい」
「桜には女神が宿っているんだから、バチが当たっちゃうよ」
 少女は不思議そうにS氏を見上げた。
「木花佐久夜毘売って名前」
「変な名前」
 笑い合う二人は度々、その桜の下で話すようになった。

 往々にして、二人の話は恋バナが多い。
「橙ってオレンジのこと?」
 その日は結婚について語り、海外で橙はプロポーズの証だとS氏は話した。
「橙の花を見たことは?」
「ない」
「いつか見せよう」
「それプロポーズ? ないね」
 そう笑い合った日の夜、彼女の容体が急変した。

 結果的に、危篤状態は乗り越えた。
 しかし予断を許さない状況に変わりはなく、疾患の原因が掴めないのでは手の打ちようもない。

 S氏は必死になって原因を探した。
 丁度その頃、同じく原因不明の易出血性疾患に罹る患者が増加している、と報道があった。
 それも、日本を中心に。

 桜は周囲の植物を毒殺する、そんな話を見た。
 当然人体への影響などないが、念のためS氏は病院のあらゆる桜を調べた。
 結果、毒性は異常値。その抗血液凝集作用は、人体への影響を無視できない。

 S氏は桜を全て伐採、後には橙を植えた。
 理由は、約束の樹だから。
 それだけだ。

 日本中を疾患が駆け巡る中、S氏の病院は桜を伐採して以来、複数の患者が回復した。
 治療できる病院の噂は瞬く間に全国へ広がる。
 桜の異常毒も、日本中の桜が異常という事実と共に公表された。
 ある新聞記事はこう書いた。
 美しさに誘惑されるまま、人は桜に近づきすぎた、と。


「桜病に対し、橙を植える意味とは?」
 神妙な顔の記者がS氏に問うた。

「守るべき人へおくるため」
 それは正しくS氏の心情だった。

「……患者さんに薬を届けるためだ、と?」
 だが記者には届かず、最終的な報道と人々の解釈は単純だ。

 桜を伐採し、薬となる橙を植えること。

 今や疾患は海を越え、世界に伝播した。
 対策も伝わり、やがて橙が世を満たすだろう。

 古事記では、女神は自身の嫌疑を晴らすため炎の中で子を産む。炎に巻かれた女神の行方は定かでない。

 桜が失せようと、S氏に後悔はない。
 守るべき人がいる。
 そこに疑いなどないのだから。

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