北田暁大

社会学。

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最近の記事

ユミソン氏の告発に対する対応について

以下は、本年9月17日にAMSEA関係者・受講生、社会と芸術フォーラム関係者に送付した文書です。私たちなりの取り組みと対応、方向性を示したものです。MeToo運動を支持する立場から可能な限り、誠実に対応してまいりたいと考えております。 /////////////////////////////////////// 社会の芸術フォーラム、AMSEAにてご協力いただいているみなさま 社会の芸術フォーラム、AMSEAへの多大なご尽力を誠にありがとうございます。本メールは、おそ

    • 荒川区から考えている

      東京の荒川区に住み始めたのは00年代の初めのことだから、かれこれ20年近くのお付き合いとなる。途中一回勤め先近くの台東区に浮気したが、どうしても荒川区の引力に抗えず、戻ってきた。区内で計5回引越している。引っ越し貧乏の典型である。 荒川区に住み始めたころ、わりとすぐに隅田川との関係を思うに至り、図書館とかで調べまくった。別に駐車場として使われているわけではない一階のある「高床式」の建物がやたらある、というのに気づいて「あ、これ水害対策かな」と思ったのがひとつ。あと、とにかく

      • ユミソン氏の「告発」への応答・補遺

        ご本人の許可をいただき、神真吾先生のFBでの応答をこの場にも転載させていただきます(そもそも公開データですので、https://www.facebook.com/photo.php?fbid=2871721652855828&set=a.256124567748896&type=3&theaterをご覧ください)。 /////////////以下、神野さんのFBからの引用///////////////////// 私の名前も出ているのでコメントしますが、いい加減にしてほし

        • ユミソン氏の「告発」への応答

           アーティストのユミソン氏が、北田や井上文雄さん、神野真吾さんの「ハラスメント」を「告発」する文書がnoteで公開、拡散されています。ジェンダー論を研究の一領域とし、またAMSEAという「芸術の社会性」を問う事業を担っている身として、ネットという場でいいうる限りにおいて応答しておきたいと思います。多くのかたの個人情報が関連してくるため、これ以上のことは、しかるべき場で公正かつ精緻に論ずるべき事柄であると判断いたします。 (1)はじめに  ある地域芸術祭をめぐって、ユミソン氏

        ユミソン氏の告発に対する対応について

          山岡重行聖徳大学講師の拙稿への「批判」と統計学理解の問題及び研究教育倫理の重篤な問題について(補遺②)ーー本連載の含意

          山岡重行聖徳大学講師の拙稿への度を逸した非難については、ここまでごく技術的な事柄に即して論じてきた。私のこの連載でのひとまずの目標は、①拙論を「いんちき」「捏造」「疑似科学」…などと痛罵する山岡氏の議論に対する反論と、②そもそも山岡氏が前提としている統計理解、わけても推測統計についての理解―分析を進めるうえではcriticalな問題である―を分節することであった。研究倫理については、最小限の言及に留めた。 先述の通りこの間、私の反論にまともに応答してくれたのはUNCORRE

          山岡重行聖徳大学講師の拙稿への「批判」と統計学理解の問題及び研究教育倫理の重篤な問題について(補遺②)ーー本連載の含意

          山岡重行聖徳大学講師の拙稿への「批判」と統計学理解の問題及び研究教育倫理の重篤な問題について④――統計的検定に関する議論をめぐって

          私がこの連載を始めたのが7月5日であり、それから2週間ほどが経った。この間、山岡重行聖徳大学講師からは一言の連絡、言及もいただいていない。私も決して各種返信の早いほうではないし、学問的議論には2週間は短すぎる単位であって、「オラオラ応答センカゴルァ(# ゚Д゚)」みたいにはもちろん思わないが、自らが、おおよそ研究者に対して向けられる限界を超えた罵倒・誹謗中傷を繰り返しツイッターや学会、講演で繰り返していた(どうも繰り返す予定のようであること)ことを考えると、応答があったこと

          山岡重行聖徳大学講師の拙稿への「批判」と統計学理解の問題及び研究教育倫理の重篤な問題について④――統計的検定に関する議論をめぐって

          山岡重行聖徳大学講師の拙稿への「批判」と統計学理解の問題及び研究教育倫理の重篤な問題について③――山岡氏のBonferroni調整をめぐり

          やはり、社会統計学上の問題とは一応独立している倫理的問題についての記録保存だけでは、いくらなんでも学術的な議論への寄与が少なすぎると思うので、まだ吟味したかったが、山岡重行氏自身の分散分析・検定の疑問点について2回ほどかけて記しておきたい。 今回は一回目である。 既述のように、山岡(2019)の統計的検定に関する解釈は独特であるし、米国統計学会のp値声明(Wasserstein and Lazar 2016,佐藤訳 2017)において誤解とされているものである。また、山岡(

          山岡重行聖徳大学講師の拙稿への「批判」と統計学理解の問題及び研究教育倫理の重篤な問題について③――山岡氏のBonferroni調整をめぐり

          山岡重行聖徳大学講師の拙稿への「批判」と統計学理解の問題及び研究教育倫理の重篤な問題について【番外(記録)編】

          山岡重行聖徳大学講師が、『社会にとって趣味とは何か』(河出書房新社)に収められた拙稿について、「データ、結果の捏造」「改竄」「隠蔽」「いんちき」「妄想」「反証不可能」「疑似科学」「でっちあげ」「誘導」「偽装」「いいくるめる」「馬鹿(引用の体裁)」「頭弱い(引用の体裁)」「みせかけ」「中身がない」「悪質な確信犯」「手口」「仮説と結論は同義」「感情的な反発」「誠実な研究であることを装う」「調査結果を歪め」ときわめて激烈な「非難」をしていることに対して、社会統計・研究調査倫理の観点

          山岡重行聖徳大学講師の拙稿への「批判」と統計学理解の問題及び研究教育倫理の重篤な問題について【番外(記録)編】

          山岡重行聖徳大学講師の拙稿への「批判」と統計学理解の問題及び研究教育倫理の重篤な問題について② 平行軸プロットにおけるスケールの表現

          「平均差を図示するのに、標準得点のグラフを用いている」ことに対する批判に関係するだろう議論としては、以下の3つを挙げたい。 (a) 平行軸プロットにおけるスケールをどのように設定すべきか? (b) 効果量を見る際に、標準化した効果量を見るべきか、生の効果量を見るべきか? (c) グラフにおける軸のスケールをどのように設定すべきか?  以下で上記の(a)、(b)、(c)について順に述べていく。 (a)平行軸プロットのスケールに関する議論 表1 表1:平行軸プロットを描く

          山岡重行聖徳大学講師の拙稿への「批判」と統計学理解の問題及び研究教育倫理の重篤な問題について② 平行軸プロットにおけるスケールの表現

          山岡重行聖徳大学講師の拙稿への「批判」と統計学理解の問題及び研究教育倫理の重篤な問題について①【補遺】

          山岡重行聖徳大学講師による北田への批判を、氏の統計理解から解釈の問題に至るまで検討し、氏の研究者・教育者として責任を追及していくのが、この場での課題であるが、私が、氏の解釈的批判の部分(議論の本質? 前提がとわれているのに?)を全く言及していない(統計的な技術論で反論している)というやや意味のわかりづらい批判があるようなので、少し寄り道して、どれほど私がそうした「ど真ん中」の問いに対して極力誠実に応答してきたかを紹介しておきたい。修正したい点はあるが、公正性を鑑み、そのままの

          山岡重行聖徳大学講師の拙稿への「批判」と統計学理解の問題及び研究教育倫理の重篤な問題について①【補遺】

          山岡重行聖徳大学講師の拙稿への「批判」と統計学理解の問題及び研究教育倫理の重篤な問題について①

          ※他のかたのサイトに書き落としていった文章なので随時整えていきたいが、一点最後に補足しておいた。 ※UNCORRELATED氏に丁寧な評をいただき(http://www.anlyznews.com/2019/07/blog-post_6.html#comment-form)、二つ目の補足を書かせていただいた。(7月6日) ■山岡重行聖徳大学講師は、著書や自身のツイッターおよび、公開の講演会や学会、講義などで、拙論(『社会にとって趣味とは何か』河出書房新社所収の二つの論文)

          山岡重行聖徳大学講師の拙稿への「批判」と統計学理解の問題及び研究教育倫理の重篤な問題について①