山岡重行聖徳大学講師の拙稿への「批判」と統計学理解の問題及び研究教育倫理の重篤な問題について【番外(記録)編】

山岡重行聖徳大学講師が、『社会にとって趣味とは何か』(河出書房新社)に収められた拙稿について、「データ、結果の捏造」「改竄」「隠蔽」「いんちき」「妄想」「反証不可能」「疑似科学」「でっちあげ」「誘導」「偽装」「いいくるめる」「馬鹿(引用の体裁)」「頭弱い(引用の体裁)」「みせかけ」「中身がない」「悪質な確信犯」「手口」「仮説と結論は同義」「感情的な反発」「誠実な研究であることを装う」「調査結果を歪め」ときわめて激烈な「非難」をしていることに対して、社会統計・研究調査倫理の観点から応答していくことがこのnoteの目的であるが、一方で、論壇プロレスならぬ学術的な批判のあり方・方法について山岡氏の責任を問うていくことも目的の一つである。そのための各所での資料はもちろん保存しているが、統計学の話はいったん小休止を入れて、保存の記録の一部を紹介しておきたい。

むろん、発言者等の特定が前提とされていない発話や文章は公開しえないが、ツイッターの記録は公開可能な資料といえるだろう。正当な応答と手続きなしに勝手に消去されても困るので、ここにその一部を紹介しておく。私には、ここにみられる山岡重行氏の言動は学問的に常軌を逸したものと思える。学問的な批判に対しては反論で自ら名誉回復することが可能だが、誹謗中傷についてはそれは望むべくもない。その点を鑑みての措置である。繰り返し私はそうした学問外的な事柄をノイズとして聞き流し、社会統計的な問題に限定しようと努めてきた。山岡氏のツイートによって、その努力は気泡に帰した。学問的な応答とは異なる責任を並行的に徹底的に問い続けていくつもりである。



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