ユミソン氏の「告発」への応答・補遺

ご本人の許可をいただき、神真吾先生のFBでの応答をこの場にも転載させていただきます(そもそも公開データですので、https://www.facebook.com/photo.php?fbid=2871721652855828&set=a.256124567748896&type=3&theaterをご覧ください)。

/////////////以下、神野さんのFBからの引用/////////////////////

私の名前も出ているのでコメントしますが、いい加減にしてほしいというのが正直な気持ち。
私がどのように人と関わってきたのかを私と関わりのある多くの人は知っているので弁明する気は全くないです。名誉のためだけです。なので、ここでユミソンさんが書いていることで、私に関することについての私の理解しているところを述べます。

私は彼女の個人的な領域については一切関知していませんし、興味もなく、発言もしてきませんでした。まずここは前提です。これは、藤井光さんが撮った集会での映像の中でも触れています。私見はありますが、根拠がないので披瀝しません。これは私の第一の前提です。

そして、私はユミソンさんが総合ディレクターを務めていた2014年のアラフドアートアニュアルのアドバイザーを依頼されるということになっていました。「ことになっていた」という言い方をしているのは、メール等で依頼をされて、私は引き受けると言い、職場へは特に依頼状とかいらないよというやりとりをしていて、私個人への依頼状はPDFで送られていたにもかかわらず、運営を巡る状況がこじれ、私が意見を言うと、「あなたはアドバイザーじゃない。委任状を送っていないから!」とか言い出したからです。これが第二の前提。
ちょっと笑える状況ですよね。ここら辺も、彼女が書いている藤井光さんの映像の中で語っています。
無茶苦茶なマネージメントだったと思います。私はハラスメントの被害者?

最初に言ってしまえば、セクシャルハラスメントの話と彼女のマネージメント上の瑕疵、不誠実さにまつわる案件とを、ごっちゃにしているのではないかと思います。前者は私は関知していません。加担したことも放置したこともない。個人的なことを全く知らないので。

そもそもこのアラフドアートアニュアルという、福島の温泉地で行われるアートフェスに私が関わることになったのは、私が個人的に関わりのある山本高之作品を見に行ったことがきっかけだったと思います。その前に鳥取CAMPでユミソンさんと会ってたのもあったかなと思います。現地でユミソンさん、北田さんと会い、研究者が関わることで、単なる打ち上げ花火みたいな、地域の不平等性を逆に強化しかねない芸術祭のあり方へ問題提起できたら良いね、という話で盛り上がりました。私と教育心理学者の縣さんとで、協力しようという話になりました。現場が欲しくて飛びついたとか思われるのはまず心外。私には現場はあるので。ノーギャラです、もちろん。
キャプチャ貼り付けます。これが2013年の6月。

その次の年の夏頃にぐちゃぐちゃになったのだと記憶してます。

ぐちゃぐちゃになった全貌を私が理解しているとは思われないので、私から見た理解ということになりますが、それを述べると。
私にとってアラフドの問題は、誰が観客なのか想定されていず、①アーティストの選定②展示のルール、が成立していないのでは?ということで、当初からそう意見を表明していました。
一般の温泉旅行客しかいないのに、ハイコンテクストの現代アート作品をこけしの展示室に置いてキャプションのみって、ほぼ暴力と言ってもいいし、現代アート展ごっこにしか見えなかった。それは予算があるとかないとかの話ではない。その過程で井上さんがキュレーターに指名されるなどし、役割分担されていったんじゃないかと記憶してます。私は展覧会のインターフェースに意見を言う役割、縣さんは鑑賞者の体験を評価する役割。

その後、結局のところアーティスト選定とかで従来のやり方が修正されず(民主的手続きが全くなかった)、それがトラブルの発端となって瓦解したというのが私の理解です。彼女の健康問題も絡んでいたように思うけれど、私は関知していません。私自身の見方はそれだけです。そうした状況に抗議をし、体制の再構築を提言したら、「あなたはそもそもアドバイザーじゃない」とか詭弁を弄されたので、完全に不信になったということです。小さな芸術祭での政治的な振る舞いとその破綻が実際の根幹にあるのだと思います。その中で彼女は研究者やアーティストの側から離れ、政治的駆け引きで地元青年部の運営委員会を利用するレトリックで対抗し始め、全体の構造を破壊したのだと私は今も思っています。その理由はエゴなのか誇大妄想なのか、私には何かわかりません。

ちなみに、社会の芸術フォーラムやAMSEAは、こうした地域の政治性や、アート関係者のエゴに絡め取られないアートのあり方を社会との関係から検討したいということから始まっています。
その中であったハラスメントに関わる事柄で私が知ったことについて私がどのような対応をしてかたのかは、関わった方がご存知だと思います。
以上。

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