『鄭玄から学ぶ中国古典』おわりに

 読者の皆様、ここまで読んできていただいて、本当にありがとうございました。内容については誤りもあるでしょうが、いま自分が書きたかったことはなんとか説明できたと思います。

 最後に、一つの疑問に答えなければなりません。本シリーズで長々とやってきたような歴史や古典に対する研究・考察は、現代我々が生きていくに当たって、何の役に立つのでしょうか?

 これに対しては、たくさんの回答が浮かびます。実は、「役になんて立たなくていいじゃないか、楽しいんだからやらせてくれよ」なんていうのが正直なところですが、これは禁じ手にしておきましょう。

 まず、この本で少し紹介した「歴史や古典の研究手順」というものは、専門分野に限らず、普段我々が生活する上で、いつでも役に立つものです。「厳密に考える手順」を知っておくことが人間の大きな武器になるということは、私自身が日々実感していることです。まず、広く歴史や古典の研究することの意義は、ここにあるでしょう。

 もう一つ、歴史や古典を知っておくことの意義は、今の自分の考え方や政治や社会の状況を、相対化して見ることが出来るようになる点にあると考えています。多様な考え方・異質な文化を、欲を言えば「厳密に考える手順」を通して、自分の力で学ぶことによって、われわれは自然と自らの文化や環境を相対化し、広い視野を手に入れることが出来ます。

 この二つの意義から考えると、「鄭玄」というのはもってこいの材料です。本シリーズで見たきたように、鄭玄は厳密な思考を通して自説を作っていますから、われわれが鄭玄説を理解するに当たっては、同様の厳密さが自然と要求されます。ここから、われわれは考証手順の厳密さを自然に達成することが出来ます。そのうえ、鄭玄の学説というのは歴史的に見ても異質の中の異質であり、しかし同時に、その後中国の学問世界で広く受け入れられた人でもあります。鄭玄の考え方を理解することは、一つの異文化を知るという意味でも、非常によい教材だと思います。

 以上、長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。今後もnoteの更新は続けてまいりますので、よろしくお願いいたします。

棋客

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