生きてて良かったな
2023年が終わってしまった....
年内に振り返りnoteをあげようと思っていたのに、バイトしてCDJを楽しんでいたらいつのまにか1月中旬になっていた。まぁ、1月中ならまだ去年を振り返ってもセーフやろ!
人は19歳で体感人生の半分をもう終えているらしいけど、もし本当にそうなら私はもう7割くらいを終えてしまっている計算になる。7割と言ったら、8時間のバイトなら5時間半が過ぎていて、学生生活なら高校2年生になっていて、100年生きるならもう70歳になっている。もう人生終わったようなもんだな??
2023年は今まで生きてきた中で、最も変化と人生を感じた年だった。そして、最もクソで死にたくて2度と戻りたくない年でもある。毎年、年末には「今年もクソだったぜ〜!」って言っている気がするけど、間違いなく2023年がベストオブクソ鬱最悪イヤーだよ。
16年間の学生という身分から社会人という誰も責任を取ってくれない世界に心躍らせて飛び出して、理想とはかけ離れた自分の社会人姿と、自分自身に与えるプレッシャーでじわじわと自滅していって、最後には会社も辞めた。学生→社会人→無職ニートってもうこの先の人生あんまりない変化だと思うんだけど、どうなんでしょうか。
そんな色々あった2023年で思ったこと、まとめ↓
死ななかったこと
前のnoteでも書いた通り、人生で初めて精神的原因で病院に通って、本気で死のうと思った。
まだ23歳の私は、社会で生き抜くにはやっぱり大学を出て働いて良い年で結婚することがスタンダードだと思っていて、入社半年でそこから自分が外れるなんて思ってなかった。
結果、会社を辞める決断をして今生きているのは、愛すべきバンド達のおかげと、周りで支えてくれてた大好きな人たちのおかげでもある。
私は「努力はいつか必ず報われる」とか「生きていれば、いいことがある」みたいな励ましがマジで嫌いです。そりゃ生きていてちょっと嬉しくなることなんて腐るほどあるけど、そんな程度のことでは毎日頑張れないほど辛いから死にたいんだよ....
どんなに近い人に応援されたとしても、所詮は他人事なんだろ?と思う。こんなに毎日苦しいのに、養ってくれるわけでもない癖に無理矢理「生きろ」なんて辛いこと言うのは、あまりにも無責任過ぎません?
じゃあもし目の前に自ら命を絶ってしまいそうな人がいたらどうしたらいいのか。正解なんてわからないけど、私なりの考えはある。
死にたい人をどうにか生かすには、その人がどんなに駄目でカスみたいな人間でも「そんなことはどうでもよくて、ただ貴方には生きてて欲しい」って無条件に言ってくれる人が必要なんだと思う。
死にたい期間、人生で初めて母親に泣きながら死にたいと伝えた。専業主婦で働いたこともない母親に私のことなんて理解できるはずもなくて、休職期間中に大喧嘩になってヤケクソで死にたいって言ったら、お母さんは泣いた。
「私が生きててくれるならなんでもいいから、お願いだから死なないで欲しい」
そういえば、1番の親不孝は親より先に死ぬことだって言われたことがあったな。昔から私は親に大事にされてるなって実感してきたけど、ちゃんと言葉にしてこうやって愛されてると感じたのは初めてだったかもしれない。内定が決まったと伝えた電話でもお母さんは泣いてた。その声を聞いて私も、また泣いた。
無条件で自分を生かしてくれる人がいたから、私はまだ生きてられる。世界を見れば同じような人間は数えきれないほどいるけれど、誰かにとっての大事な人はその人以外にいない。私も私が大好きな人を全力で愛して全力で生かしてあげられる人になりたいと思うよ。
夢をちょっと叶えたこと
一時は本気で死に向き合っていたけれど、ほぼ奇跡のタイミングで新卒の時に受けた企業が求人を出していて、奇跡的にそこに再就職することが決まった。振り返ることは簡単でも、新卒で無職で何の資格もない私にとって就活していた1ヶ月半は、働いていた時とか新卒就活の時と同じくらいキツく感じた。音楽に対して誰よりも熱意を持って就活をしていたはずなのに何処も私を採用してくれなかった、あの悔しくて情けない2年前の感覚は、もう二度と味わいたくなかった。
2年前、面接の前には頑張れって言ってもらえる曲を聴きまくっていた。就活が終わってから今まで、そのプレイリストは1度も再生しなかった。結局夢だった音楽業界には行けなくて、周りは皆大企業への内定を貰っている中で自分は中小企業に行き、夢に近づけているのかも分からない状況で、夢だのなんだの歌っている歌は聞くのが辛かったから。
そして久しぶりの面接の前日、まだ何時間も先の面接に緊張してずっとお腹が痛いのと吐きそうでトイレに篭っていた。面接なんて約2年ぶりで、当時も得意だった訳じゃない。できるならもう一生面接なんてしたくなかった。それでも、どうしても真っ向勝負をしないといけない時がやってきていた。
学生最後のライブも、社会人になって最初のライブも、SUPER BEAVERだった。学生時代を支え続けてくれて、社会人への門出もお祝いしてくれた。
4月、大好きな新宿でこの歌を聴いた時、やっぱり私は音楽業界で働くことが諦められないし、いつかこの街でみた夢を絶対に叶えなきゃいけないと感じたんだよ。それで今、そのチャンスがあるんだとしたら、私は祈るだけじゃなくて自分自身で手を伸ばしてその夢を掴まなきゃいけない。
今考えると、他に面接も殆どせず、ESも数社出して終わった安定した就活だったけれど、私にとっては人生をかけた戦いだったワケで....
そんな大勝負を戦う勇気をくれたのは、いつもの通りビーバーで、私が1番好きな歌だった。
CDJで、細美さんは人生は一生戦いだと言っていた。きっとこれからも挫折と希望が入り乱れる世界で、何度も戦いに向かわなきゃいけない時が来る。その度に、私は眠らない街で悔しくて泣いた日を思い出して、戦う勇気を貰い続けていくんだと思った。
親友の夢
私が就活に本気で立ち向かえたのは、1番の親友の影響も大きい。
親友は、自分のことをあんまりおおっぴろげにしないで陰で努力を続けるような人だった。いつ見ても鞄にはたくさんの付箋がついたTOEICの単語帳が入っていた。学生時代は同じゼミに入っていたけど、誰よりも自分の興味関心に従って勉強していて、単位だけが欲しい自分とは大違いだなと思っていた。
そんな親友の夢は、CAだった。
勤勉な彼女が英語の勉強もホスピタリティの勉強も、大学中に頑張っているのをずっと隣で見てきた。
私が就活に玉砕している横で、彼女もまた必死に戦っていた。就活の結果、親友はCAにはなれなかった。それでも、やっぱり才能溢れる人を人事はしっかり見抜くんだな、誰もが知る大企業に入社した。無駄にプライドの高い私は少し、いや、かなり嫉妬した。まぁ今まで頑張ってきた彼女だからこそ素直におめでとうと言える気持ちのほうが大きかったけど!
そして夏の終わり、久しぶりに親友と会った。休職したいという話を聞いてもらったら、親友も同じように、一時期仕事が原因でやられてしまったと教えてくれた。大手に入って恵まれた環境にいても、やっぱり自分の夢を追えないことが苦しくてたまらなかったらしい。
そしてなんとなんと、親友は中途採用でCA職をゲットしていた。
夢を叶えて、鬼の倍率を掻い潜って冬から世界中を旅回ると嬉しそうに話す親友を見て、初めて人の夢で涙が出た。昔から、部活の応援でもなんでも人のことを全力で応援することができなかった私が、大好きな親友が夢を叶えたことで、泣いた。
夢を叶える人なんて、世界に何人いるんだろう。こんなにかっこいい人が私の近くにいるのに、どうして私は死のうとしてるんだろう。「失うものなんてないんだから、チャレンジすればいいんだよ!Follow your dreamだよ!」英語混じりにされた応援は多分ずっと忘れないと思う。親友のおかげで、またひとつ頑張る理由ができた。
お互い、夢を追って2人とも幸せになれたらいいね!
生きるってなんだ
コロナが始まってから、人生はドラマみたいに上手くいくことなんてほとんどなくて、大体の人は夢を叶えることもできずに脇役みたいな人生を歩んでいくんだと思うようになった。
学生時代に就活も恋愛もうまくいかずに社会人になって、世界の生きづらさに毎日絶望を感じてたんだから仕方ない。物価と税金は上がっても給料は変わらなくて、SNSでは誹謗中傷とルッキズムが交差して、人生どこかで一度でもミスってしまうと、もう2度と元の場所に戻れない。こんな世界誰が生きたいと思うんだよって本気で思うし、自分の子供にはこんな辛い思いをさせたくないから子供も産みたくない、ていうか産めない。「生まれて来ないことが1番の幸せ」という考えがあるけど、本当にそうだよな〜と思ってた。
とまぁ、23歳の癖になにを達観してるんだと怒られそうな感情を持ちながら生きてきたんだけど、2023年はこの世界で生きることについて改めてたくさん考えた。
ニート期間にアニメや映画を見漁って、進撃の巨人を一気見した。
主人公は理想とは違う世界を見て、「生まれて来ないことが1番の幸せだ」と言っていた(最終的に本心かは微妙なところだけど)。間違いない、どう生まれたって、世界は苦しいんだから。それに対して、物語の後半にはこんなアンサーが出された。
なんでもない一瞬が大事だってよくいうけど、一瞬ってなんだよ!と思って生きてきた。毎日必死だったとき、一瞬になんて構っていられなくて結果を出すことと自分の成長にしか目を向けていなかった。反動なのか、その分仕事から離れた3ヶ月間は、「何でもない一瞬」を凄く感じることができた気がする。
買い物帰りのおばさんの持つ惣菜の匂い、雨の次の日の晴れた青空、あったかいお風呂、コンビニで売られ始めるおでん、忙しない新宿、バイトでお客さんに言われるありがとう、10年以上通う最寄駅、昔から気にかけてくれる先輩、一生笑い合える大好きな友達、叱ってくれる姉、味方でいてくれる両親
大好きなバンドマンの言う「死にたい日が続いても、死ぬなよ。死んだら今日みたいなスッゲー楽しい日も忘れちまうからな」の意味が、今なら何となくわかる。私はこの世界のちょっとした一瞬一瞬に幸せを感じることができるし、忘れたくないと思う。このクソみたいな世界の中にも、大好きな人も大好きなことも感動も、まだたくさん残っていて、それを全部無視して「こんな世界は生きる意味ない」なんて言うことはできないかもしれない。
毎日の絶望のなかで、日々を必死に戦い生きるなかで、見つけられる「生きていてよかった」を忘れずに私は生きていくべきだと気づくことができた。
まだまだすぐ簡単に死にてーと思うことも多いけど、私は絶対に死んではいけない!その意思だけはしっかり持つことができる。
冒頭の通り、2023年はクソ鬱最悪イヤーだったし2度と戻りたくないけど、私の人生でなくてはならない年であったことは間違いない。ありがとう2023。
2024年は死なないことを目標に生きようと思います。今年も皆が幸せでありますように、そのなかでも私が1番幸せでありますように!
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