見出し画像

〈画像はイメージです〉で責任逃れをしていない?

つい最近までまったく気にならなかったのだけど、だれかが指摘しているのを目にして「なるほど」と思った次第。

「イメージ(image)」は「画像」のことだから、同義反復になっている。「元祖天才バカボンのパパだからパパなのだ」と言っているようなものだ。今日からキミもこのコトバに引っかからずにはいられなくなるはずだ。

なぜいままで素通りしていたのか。じつは「画像」=「イメージ」ではないからでは?

「イメージ」を言いかえると、「想像」「完成予想図」などが思いつく。しかし、「商品の画像はイメージです」と「商品の画像は完成予想図です」は微妙に意味合いが異なる気がする。なんとなく「イメージ」には、「実物とちがっているかもしれませんが、当方は責任を持ちません」という含みがあるように思えるのだ。

うがった見方かもしれない。ボクのココロが汚れきっていることも否定しない。でも、「イメージならしかたがないな」と読み手が許容してくれるのを期待する意図も少なからずあるのではないか。それでも世のなかは丸くおさまっているから波風は立てたくないけれど、読み手として注意は怠らないようにしたい。


巷で日常的に使われていて誤りというわけではない。でも、ボクがちょっと気になるコトバを挙げてみた。コトバ狩りをしたいんじゃない。コトバの不思議さや奥深さに迫りたいだけだ。キミも肩の力を抜いて読んでほしい。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?