米田政行:Gyahun工房[ライター・編集者]

パートナーたちとチームを組んで書籍・雑誌・web記事の制作(企画・編集・執筆)を行なっ…

米田政行:Gyahun工房[ライター・編集者]

パートナーたちとチームを組んで書籍・雑誌・web記事の制作(企画・編集・執筆)を行なっています。ライター・編集者歴26年目。読む人をちょっとだけ幸せにするコンテンツづくりをめざしています。https://lit.link/yonedamasayuki

マガジン

  • コトバ放浪記

    コトバについていろいろ考えをめぐらせてみます。コトバの広大な世界を放浪しようというわけです。日常生活に役立つとはかぎらないけれど、人生をちょっと彩ることにはなるのでは?

  • インタビュー・マニュアル

    取材ライターの経験を「インタビュー・マニュアル」としてまとめるため、メモ代わりの記事をアップしています。

最近の記事

マイホームを建てた人は「これで自分も〈一国一城の主〉か」などと思うそうですが、これからの時代はネット上で〈一国一城の主〉になればいいのかもしれません。すなわち、自分のドメインでブログなどのサイトを持ったり、SNSのサーバーを建てたりするのです。

    • 〈憶えてくれていた〉と〈憶えていてくれた〉の違いがわかりますか?

      この2つをどう書き分ければいいか。あなたを含めてほとんどの人がまったく気にしない問題だろう。でも、ボクは〈書く〉ことが仕事。なんとか両者を区別したい。 〈憶えてくれていた〉は、「憶える」と「~くれる」(与える)と「~いる」(動作の進行)で組みたてられている。「(忘れられてしまいそうなほど些細な事柄にもかかわらず)憶えてくれている」と、相手の「憶える」行動そのものに焦点をあてている。 一方、〈憶えていてくれた〉は、「憶える」と「~いる」と「~くれる」の順で構成されている。「

      • インタビュー記事において、相手が若い人ほど直しが多くなりがちだと感じます。大学教授の1500字はほぼOKだったのに、学生さんの150字は全面書き直し。どーゆーこと?

        • テキストではなく画像に重きを置くInstagramをライターとしてどう活用するか。それもマーケティングではなく〈コンテンツクラフト〉の観点から。紙の雑誌をレイアウトするように、あるいは固定レイアウトの電子書籍をつくるように、文章を画像化して投稿してみようと考えています。

        マイホームを建てた人は「これで自分も〈一国一城の主〉か」などと思うそうですが、これからの時代はネット上で〈一国一城の主〉になればいいのかもしれません。すなわち、自分のドメインでブログなどのサイトを持ったり、SNSのサーバーを建てたりするのです。

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          〈お遊びライティング〉は、自分の感情に焦点を当てます。いわゆる「ジャーナリング」にとてもよく似た営みですが、〈お遊びライティング〉は読み手を想定し、しっかりとしたコンテンツに仕上げる点が異なります。

          〈お遊びライティング〉は、自分の感情に焦点を当てます。いわゆる「ジャーナリング」にとてもよく似た営みですが、〈お遊びライティング〉は読み手を想定し、しっかりとしたコンテンツに仕上げる点が異なります。

          先週はMacが壊れてしまい哀しい想いをしました。25年以上、何台ものMacを使ってきましたが、修理に出すハメになったのは初めてです。「修理から戻ってくるワクワク感を味わえるぞ」と、前向きにとらえています。

          先週はMacが壊れてしまい哀しい想いをしました。25年以上、何台ものMacを使ってきましたが、修理に出すハメになったのは初めてです。「修理から戻ってくるワクワク感を味わえるぞ」と、前向きにとらえています。

          〈〜だけど〉〈〜だけれど〉〈〜だけれども〉のどれを使うか迷ったら?

          逆接の接続詞として の表現方法があり、いずれも意味はおなじ(交換しても文意は変わらない)。どれを使っても問題ない。 しかし、「どれでもいいよ」と言われると、ボクたちはおおいに迷う。絶対的でないにしても、指針となるものがやっぱりほしい。そこでボクは考えてみた。 〈~だけど〉〈~だけれど〉〈~だけれども〉は、いずれも意味はおなじだが、文字数が異なる。一般的にコトバは文字数が多くなると丁寧な言い回しになる。 たとえば、インタビュイー(インタビューの相手)の発言として、「僕は

          〈〜だけど〉〈〜だけれど〉〈〜だけれども〉のどれを使うか迷ったら?

          「原稿用紙なんて見たことも触ったこともない」という若いライターさんに向けて、「原稿用紙を活用するライティング」を、半分は冗談、半分は本気でお勧めしようかと目論んでいます。キーボードを叩くのと、紙にペンで書くのとでは、創造性に違いがあると考えているからです。

          「原稿用紙なんて見たことも触ったこともない」という若いライターさんに向けて、「原稿用紙を活用するライティング」を、半分は冗談、半分は本気でお勧めしようかと目論んでいます。キーボードを叩くのと、紙にペンで書くのとでは、創造性に違いがあると考えているからです。

          「神は細部に宿る」と言われます。これは完成品だけでなく、その制作過程にも当てはまるのではないか。たとえば、「クライアントとやりとりするメールにも細かい気配りをする」といったことです。

          「神は細部に宿る」と言われます。これは完成品だけでなく、その制作過程にも当てはまるのではないか。たとえば、「クライアントとやりとりするメールにも細かい気配りをする」といったことです。

          私には、晩酌する習慣がありません。人生の目的を〈コンテンツクラフト〉と定めており、晩酌はその目的に合わないからです。こんなふうに人生の目的を定めた(言葉にした)ことによって、ふだんの生活がじつにシンプルになりました。

          私には、晩酌する習慣がありません。人生の目的を〈コンテンツクラフト〉と定めており、晩酌はその目的に合わないからです。こんなふうに人生の目的を定めた(言葉にした)ことによって、ふだんの生活がじつにシンプルになりました。

          〈お遊びライティング〉というのを密かにお勧めしています。「お遊び」には「仕事ではない/受注したものではない/お金にならない」に加え「ゆとり/余白/娯楽」といった意味がありますが、後者のほうがより重要です。つまり、「人生の余白で愉しむライティング」というわけです。

          〈お遊びライティング〉というのを密かにお勧めしています。「お遊び」には「仕事ではない/受注したものではない/お金にならない」に加え「ゆとり/余白/娯楽」といった意味がありますが、後者のほうがより重要です。つまり、「人生の余白で愉しむライティング」というわけです。

          〈〜が楽しめる〉という表現に違和感を持つ人へ

          どちらの表現もおなじくらいの頻度で目にするけど、じつは【A】は文法的には誤りだ。「楽しむ」のはヒトだから、助詞は「を」を使うのが正しい。 とはいえ、ボクは誤りであるはずの【A】のほうがなじみ深い。というか書きたい。 「を」の場合、ヒトが主語になるから、当然ながらヒトの存在を背後に感じる。でも、たとえばお酒の魅力を伝えるなら、お酒の「香り」を前面に出して表現したい場合もあるはずだ。だからこそ、〈~が楽しめる〉という言い回しも廃れずに残っているのだと思う。 〈〜が楽しめる〉

          〈〜が楽しめる〉という表現に違和感を持つ人へ

          かつて著名な作家は自分専用の原稿用紙に執筆していたようです。ある有名なアニメーターは原画用紙を自作しているとも聞きました。私も書籍のラフコンテ用紙を自分でつくり、一端のクリエイター気分を味わっています。

          かつて著名な作家は自分専用の原稿用紙に執筆していたようです。ある有名なアニメーターは原画用紙を自作しているとも聞きました。私も書籍のラフコンテ用紙を自分でつくり、一端のクリエイター気分を味わっています。

          【〈生涯現役〉と〈セミリタイア〉の禁じられた融合】といったものを密かに考えています。一見すると矛盾している概念の“いいとこどり”をして、これからの激動の時代を生き抜くための生存戦略を組み立てようと目論んでいるのです。

          【〈生涯現役〉と〈セミリタイア〉の禁じられた融合】といったものを密かに考えています。一見すると矛盾している概念の“いいとこどり”をして、これからの激動の時代を生き抜くための生存戦略を組み立てようと目論んでいるのです。

          自己啓発系の書籍や記事を制作しておきながら、こんなこと言うのはナンですが、「こうしましょう」と他人から指南されたことを実行すると、〈自律性〉〈能動性〉が少なからず削がれるため、そのぶん〈幸福感〉が下がる。だから、自己啓発系はダメなんじゃないか。そんな諦観にとらわれています。

          自己啓発系の書籍や記事を制作しておきながら、こんなこと言うのはナンですが、「こうしましょう」と他人から指南されたことを実行すると、〈自律性〉〈能動性〉が少なからず削がれるため、そのぶん〈幸福感〉が下がる。だから、自己啓発系はダメなんじゃないか。そんな諦観にとらわれています。

          〈〜することで〉と書きたくなったら思い出したい文章の法則

          といった表現を目にした。「こと」が重複しているのも気になるが、 でいいのでは? と思ってしまう。 ちょっと気どった文を書こうとすると〈〜することで〉としてしまいがちだ。多くの場合「〜すると」としたほうがズバッと決まる。しかしながら、〈〜することで〉のほうを使いたいときもある。それはどんな場合なのか?  たとえば という文があったとする。この文の前に、 といった文があるなら としたほうがよさそうだ。 じつはここでも、ほかの記事で述べた〈天秤理論〉が適用できる。

          〈〜することで〉と書きたくなったら思い出したい文章の法則