桃と西瓜、お義母さんの料理、働くこと
誰かの日記を読むのが好き。独り言みたいな、心の内の呟きをつらつら綴った文章が好き。私もそんな文章を書きたいなあ、と意気込んで始めた月記が、開始2ヶ月で滞っています。4月から始めて、5月で止まっています。3日坊主にすらなれないや。何かを継続できる人は、ほんとうにすごいな。
今日は、桃と西瓜のことを書きます。肩肘張らずに何を書きたいかなあと思いを馳せて、ふと浮かんだのが、桃と西瓜のこと。夫の実家でいただいたもの。西瓜なんて何年ぶりだろう。
お義母さん手作りのしゅうまいやお好み焼きをたらふく食べて、こめかみのあたりまで眠気が降りてきた昼下がり。畳の上で扇風機に当たっているところに、お義母さんが出してくれました。桃はとろけるように甘く、西瓜は滴るほどみずみずしく、暑さでゆだった身体に沁み渡るようだったな。果物から摂る水分って、この世でいちばん贅沢な水分ではなかろうか。
そうそう、お義母さんは、今まで出会った誰よりも美味しいごはんを作るひと。何を食べても美味しい。ぱっと作ってみたよー、と出されるものが、びっくりするくらい美味しい。ついおいしいおいしいと口に出しちゃって、わざとらしく聞こえてたらどうしよ……と後から反省したりもするけれど、本当に、美味しいのです。野菜は甘く、お肉は柔らかく、お米はつやつや。ついおかわりしちゃうし、苦手な酢の物だってぱくぱく食べてしまう。長年の経験と工夫がこの味を培ったのだろうなと思う。すごいな。そして、夫よごめん。こんなに美味しいごはん、私は一生かかっても作れないや。ぜひともあなたに、この味を再現してほしい!
お義母さんを見ていると、私は主婦になれないなあと、漠然と思うんです。お義母さんの家事が完璧だから。最近の私はひどいもので、夫と別食の日はお菓子で済ませたり、洗濯物はソファに置きっぱなし(服がなくなって2日連続で同じのを着たりする)、排水溝は大変なことになっていて、テーブルの上もごっちゃごちゃ。仕事を言い訳にしているけれど、たとえ時間があったとしても、丁寧に生活できるだろうか、と疑問が残る。連休だってこんな感じなので。
帰省するたびに、働いてえらいねえらいねと褒めてもらって、ちょっぴり嬉しく、その反面怖くもある。もし私が働けなくなったら、お金を稼げなくなったら、そこに私の価値は見出してもらえるだろうか。これまで通りに温かく受け入れてもらえるだろうか。こんなふうに考えてしまうということはすなわち、今の私のアイデンティティは「働いている」ことで、その状態にあるからこそ、辛うじて自分を肯定できているのかもしれない。働けなくなった自分を誰よりも受け入れられないのは、私自身かもしれない。
根底に、不安があるのだと思う。ひとりで生きていく手段を失うのが、怖い。父に縛られる母を見てきたから。優しい夫と、対等な関係でいられなくなる気がするから。だから、社会人向いてないよう、働きたくないようとため息をつきながら、たまに泣いたりしながら、どうにかこうにか日々をこなす生活が今の私にはいちばん合っているのだと、そう思うことにしてる。
今、『賢い医師生活』を流しながら、これを書いています。さっきまでは『太陽の末裔』を観てた。国内ドラマよりも韓国ドラマが好き。国内ドラマはリアルすぎてしんどくなっちゃう。特に自分の仕事と近い物語は、ところどころ嫌な記憶が思い出されて疲れちゃう。ああリアルだなあ、これ現場のひとの声を聞いてつくったんだろうなあ、と感心しながら、胃がきゅうっとなったりする。
普段の私の頭は8割が仕事で埋め尽くされているから、noteに仕事のことを書けないのがもどかしい。こんなことがあって、こう考えて、つらかった、嬉しかった、そういう些細なことを文字にできないのが残念で、もったいない。だって後から振り返ったとき、今の感情を忘れてしまったら、深く考えたことも、身につまされたことも、無駄になってしまうような気がするから。最近の私はすごく忘れっぽいのです。記憶力って衰えるんだなあ、と実感しているくらい。というわけで、パソコンで自分だけの日記をつけ始めました。ほんとはね、お気に入りのノートに手書きしたいのだけれど、パソコンのほうがすらすら書ける。思考をそのまま言葉にしやすい。
さて、今日は早めにお風呂に入ります。ごはんを食べてストレッチをして、早めに寝ます。みなさんもお元気で。
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