なぜプロ審判を目指すの??
こんにちは。TKです。
六月も終盤に差し掛かり、本格的に夏へと突入してきました。
審判の僕にとって、審判として最初の夏がやってきました。この夏でとことん自分を追い込み、基礎づくりをしていきたいと思います。
高校の時は、
「夏にいかに自分を追い込むかでその後が決まる。」と
ひたすら先生から言われていたのを思い出します。
そんな話はそこらへんにしといて😂
今回は、
「なぜ審判でプロを目指すのか。」
という僕が審判でプロを目指すに至った経緯について書いていきたいと思います。
『審判で人として成長する』
僕は今年の一月に四級審判員として活動を始め、現在で半年が経ちました。
活動を始めたとき、僕は二十歳ギリギリという年齢で、大学三年がちょうど終わろうとしていました。
普通、審判としてプロを目指す人たちは、高校のときくらいから審判を始めて、今の僕の年齢くらいには二級を取得し、大学リーグやプリンスリーグといった試合を大抵担当しています。
そしてそこから、一級を目指す勝負へと差し掛かります。
早い人だと小学生、中学生の時からすでに審判資格を取得して、選手と並行して審判活動を行っている方もいらっしゃるのです。
しかし、僕が審判を始めたのは大学三年で、しかもコロナ禍と相まって世の中がサッカーどころではない、最悪な時期に活動をスタートさせることになりました。
この時点で他の審判に比べて、プロを目指すという意味では大きく遅れをとっています。
ではなぜ、そんなハンデを追いつつも審判を目指そうと思ったのか??
去年の夏ごろ、僕はひたすら国家公務員試験の勉強に明け暮れていました。数十万円のお金を払って講座を受講し、オンラインでの授業を聞いては問題を解き、ひたすら勉強を送る毎日でした。
そのときの僕は、
やりたいことが正直見つかっていない、正確には、やりたいことがあるけどそれをやるための一歩が踏み出せない状態にいました。
そんな状態でそろそろ進路をどうするかという時期に突入してしまい、具体的にやりたいことがない状態で、安定を求めて公務員にしようと思っていました。
しかし、別に自分から進んで希望した職ではなかったので、勉強にもあんまり身が入らずに、モヤモヤとしたとても中途半端な夏を過ごしていました。
ですが、二つだけ思っていたことがありました。
・サッカーにいつまでも携わっていたい
・人として成長が出来ることをしたい
僕は小学5年生でサッカーに出会ったのですが、そこから今に至るまで、サッカー大好き少年のまま育ちました。
サッカーをするのも見るのも好きで、とにかくサッカーに関わっていたいという気持ちが強くありました。
大学生になると、DAZNに入って毎日徹夜でサッカーを見て、一月で100試合以上見るときもありました。
イングランド、スペイン、イタリア、フランス、日本、トルコ、ポルトガルなど、いろいろな国のサッカーを見ていました。
こんな感じで生活していたことで、将来的にもサッカーに関わることで仕事が出来たらいいなと思っていました。
また、人として成長したいということも思っていました。
これには、父親の影響を強く受けています。
とにかく真面目で頑固な父親でしたが、
僕の思ってることややりたいことには、あまり快く思っていなかったり、反対していたとしても僕の意見を尊重し、最終的には背中を押してくれる、そんな父でした。
そんな父が僕の目にはとても尊く映っていて、将来的には親父のような人間に成長していきたいと思っていました。
このように当時の僕は思っていたのですが、
・僕にとってその考えが今後の僕の人生に現実的ではなかったこと
・周りに流されて付和雷同したこと
それによって、
別にやりたいとも思っていない道に進もうとしていました。
そんななか、昨年、とある日本サッカー界に長年携わり続けて来られた方が、SNSでの発信を通じて様々な審判に関する情報の発信を始められました。
そう、長年Jリーグをご覧になってきた方なら知らない人はいない、
家本政明さんです。
その時の僕は家本さんのことを、失礼ながら、
「誤審で有名な審判」
だと認識していました。
昔からJリーグも好んで僕は見ていたのですが、家本さんの名は至る所で耳にしていました。
その時は至って、
・悪名高い審判
・日本で一番嫌われている審判
・試合を壊す審判
大体このような感じのニュアンスで僕の耳に入っていました。
そもそも当時の僕は、審判という存在自体をそれほど強く認識していませんでしたし、
ひとえに審判と聞いても、
・副審とかたまにやってたなー、、、
・あの黒い服着てる人だよなー、、、
・試合中どこで何やってるの、、、
こんな感じで、審判というものがどんなものなのか分からず、そもそも存在すらも忘れかけていました。
強いてゆうなら、
「サッカー 退場」「サッカー レッドカード集」
「サッカー 乱闘」
こういった感じで検索を掛けて出てくる動画で見たことがあるくらい、、、
その程度の認識でした。
ですが、家本さんの壮絶な過去や経験に基づいた発信に、気づいたら僕は夢中になっていました。
審判の裏側や苦労、役割、そうした発信の内容を見たことで、
10数年間携わってきたサッカーに、こんな知らないことが沢山あるんだ、、、
こんな関わり方もサッカーにはあるんだ、、、
審判ってこんなことしてるんだ、、、
こんな感じで当時の僕にはとても新鮮に審判という存在が映りました。
特に一番感じたのが、
審判はサッカーに関わる全ての人々の思いを汲み取って試合を裁いているんだ、、
ということでした。
○笛一つで誰かの笑顔を奪うこともあれば、誰かの笑顔を作ることもある、、
○いい試合運びをしても褒められることはなく、目立つことが出来るのはミスした時だけ、、
そんな責任重大でかつスーパー黒子的存在でかつ、ハイパー嫌われ役な役割であることを徐々に認識していきました。
そんな審判という存在が、調べていく内に自分の中で天職のように感じるようになっていきました。
・審判にもプロ制度があり、サッカーで飯を食っていける可能性がある。
・審判としてW杯を目指せる可能性がある。
・だが、プロになるには相当な実力が必要となる。
・目指すのであればかなりのリスクがある。
元々、人がやりたがらないことをしたがる傾向に僕はありました。ですがリスキーなことになると、やろうと思ったことはありませんでした。
でも審判であれば、
・サッカーにいつまでも携わる
・人として成長する
この二つの僕の人生目標を達成できる。
そう実感した僕は、数十万円をはたいた国家公務員の勉強を辞めて、審判の世界へと足を踏み込みました。
もちろん周りの人からは、この選択に対して本当に反対されました。
特に母親からはこっぴどく反対され、何度も何度も説得されました。
しかし、自分にはその時点で、
なぜ審判をするのかという軸が出来ていました。
だから何を言われても動じることはありませんでした。
さらに、父親の存在も僕を審判へと後押しすることとなりました。
僕の父親は、49歳で社会保険労務士の資格取得のために勉強を始めました。
父曰く、元々社労士をやりたいという志が大学時代からあったものの、学費を稼ぐためにバイト三昧だったこともあり、すぐに大学卒業後は就職をしたと言います。
ですが、父は数十年経ってその夢のために再び動きました。
高齢での勉強ということと、受かるまでの間は家族を養っていくための十分な収入が母親の仕事のみになったことで、当時の僕らは相当苦難だったと思います。
ですが、7年目でやっと合格し、今では独立して事務所を立ち上げ、社労士として成功を収めています。
そんなリスクを背負った経験のある父の存在が僕にとって本当にいい影響を与えてくれました。
そうして僕は、サッカー審判の道を歩むことになりました。
審判は、監督・コーチ、選手、サポーター、などといったサッカーに関わる全ての人々の思いを汲み取って試合を裁く。
それが、審判の役割だと僕は思っています。
そのためには、それぞれの目線に立ってサッカーを客観視し、審判目線だけにならないようにする必要があると思っています。
その役割を果たすために地道な努力を積み重ねることで、自分の掲げた目標を達成できると思っています。
この先、どんなことが審判生活が自分に待っているかは分かりません。
ですが、例えどんなことがあってもそれを自分にとってプラスに出来ると思っています。
今日はここまでです。
最後まで読んでくださりありがとうございます😊
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