付き合って二週間、いまがいちばん楽しい

 このままいっしょに長く付き合えるのだろうかと不安になるときもあるが、まだ付き合い始めて2週間である。まだよくわかっていないけれど、きっと好きになれる。いや、もう既に好きだ。

 一日30分ほどしか会えないのがもどかしい。僕はふだん大学院で研究したり食い口を探すのに仕事したりしているので、会うための時間をなかなかとることができない。それでも合間を縫って毎日顔を見るようにしている。ほんとうはずっといっしょにいたいけど、一日10時間はいっしょにいたいけど、物理的にそれができないので毎日少しずつ語り合うしかない。おなじことしか話していない気がするが、それでも楽しいからいい。まだ表面上のことしかわからないけれど、きっと好きだ。

 まえから存在は知っていた。かれこれ10年くらい、僕のすぐ近くにはいたのだけれど、アプローチすることがなかなかできなかったのだ。斉藤和義に「ずっと好きだった」という歌があるが、この10年ほど頭の片隅にずっと残っていた。

 お近づきになろうとしたことは何度かあるのだが接近できなかった。高嶺の花のようで魅力を感じる人は多いと思うが、近付いて来る者を拒むなにかがある。僕も何度も引き返したのだが、やっとお付き合いにこぎつけた。

 これから先、関係性がどうなるのかわからない。遊びのようになってしまうかもしれないし、もしかすると一生を寄り添うかもしれない。でも確かに言えるのは、好きだということである。

・・・

 アラビア語のことである。
 最近、やっと本腰を入れて勉強しようと思い、参考書を手に取った。といってもまだ2週間なのだが、この言語にやっと取り組めたという喜びがいまのところ勝っている。きっとアラビア語は好きになれる。(まわりにガチ勢が多すぎてか)自分のことを言語屋さんとはあまり思ったことがないのだが、言語に対する一種の興奮状態をみるにおそらく僕も言語屋さんなのだろう。

 といっても僕には研究もあるし仕事もある。一日は24時間しかないし、いま週に一度書評を書くというとんでもない授業を履修してしまったためになかなか時間が取れない。というわけで30分ほどだけ向き合っているのである。
 僕の語学に対する姿勢は「基本は一日10時間」である。ちょっとやったくらいではモノになるわけがないし、本気で身に付けるのであればそのくらいの時間を割く覚悟は必要である。物理的に時間がなく10時間もできないことと、気長にやっていこうと思って一回30分を一週間かけて一課を繰り返すくらいがちょうどいい。
 僕の学習法はひじょうにシンプルで、とにかく音読、書く、音読、書く、音読。この繰り返しである。例文を自分のなかに染み込ませ、引き出しを円滑にしていく。ときどき「現地に行かないと身に付かない」とか「ネイティブは文法を気にせずに会話してる」みたいなことを垂れる人がいるが、なにを考えているのだろうか。話者数が300人ほどしかおらずまともな出版物がないような言語ならともかく、日本語でいくらでもテキストがある言語ならラッキーすぎるのではないか。みんなちゃんと語学に向き合ったことがないのか。

 アラビア語との付き合いはまだ二週間と長くないのだが、なんだかんだまえからその存在はよく知っていた。なにせ僕の本業であるマレー語(インドネシア語)はイスラームの伝播とともにアラビア語が入り、あちこちにアラビア語の語彙が見られる。ちなみにマレー語のなかのアラビア語は、主に思考や概念の語彙が多いのも特徴で、となると動詞や形容詞にもけっこう見覚えがあるのが出てくるのである。
 語学オタクの素質があるのか、ブラック企業に勤めて万年ぐったりしていた時期でもなにかの言語の学習を続けるという趣味は続けていた。本気で身に付ける気がない言語たちだったし勤め人なのでもちろん一日10時間もやっていないが、ウズベク語やウルドゥー語、スワヒリ語などアラビア語やイスラームの影響を受けた言語をたくさん学習したので、マレー語だけでなくそのへんからもアラビア語への馴染みは深かった。

 以前よりアラビア語に取っかかろうと考えていたのだが、何度もテキストを開いては始める前から挫折していた。アラビア語はなくても困らないだろうしと、まだ難易度が低そうなウズベク語やウルドゥー語などに手を伸ばしていたのである(もちろん興味関心からそれらの言語を選んだし、言語に難易度もくそもない。ぜんぶ難しい)。

 ただアラビア語に対する変な素養はあって、まず文字は殆ど難なくパスできた。いや、文字を知っているというだけの話なのだが、マレーシアに留学したときにジャウィ文字というアラビア文字マレー語ともいえるマレー語に触れたし、いままで学習したことのある言語のうちウルドゥー語はアラビア文字を使用している。マレー語やウルドゥー語はアラビア語より音素が多く文字が付け足されているのだが、これは習得した文字から数文字抜けばアラビア語で応用できるということになる。アラビア語独特の表記もあるのだがそう難しいものでもない。

 そんなわけでアラビア語に手を出してしまった。アラビア語ニストの友人の語りとアラビア語書籍シリーズに圧倒されたことが僕をアラビア語に誘ったのだが、まだ2週間なのですごく楽しいのである。とはいえまだまだ満足なコピュラ文も作れないが、気長に付き合っていこうではないかという次第だ。僕はイスラーム社会の研究をしているわけでもないので直接かかわってくるわけではないのだが、アラビア語やイスラームと引き離せないマレー世界の理解の一助にきっとなるだろう。

 これからアラビア語と長く付き合っていければいいのだが、ここで気の多い僕のよくないくせが作動し、聖書ヘブライ語にも関心を持ち始めてしまった。アラビア語とおなじセム系の言語で、先述の友人には「アラビア語がある程度進んだらやってみるといいよ」と言われている。そのつもりでいるが、旧約聖書の授業を聴講する度に聖書ヘブライ語の世界にも飛び込みたい自分がいるのである。

 こんな駄文を書いている暇があればアラビア語の単語はひとつ覚えられたかもしれない。僕の言語屋さんぶりと語学に対する微妙な情熱が伝わるだろう。

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