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第三巻 内なる仮想空間  1、自分の内側と外側

1、自分の内側と外側

※この小説は、すでにAmazonの電子版で出版しておりますが、より多くの人に読んでいただきたく、少しづつここに公開する事にしました。

 俺の名前は、横田宗助。俺は昔から自分の内側と外側の境目が妙に気になっていた。高校生くらいまでは、自分が死んだら無くなる部分が内側で、自分が死んでも存在するものが外側だと考えて、一応納得していた。しかし、大学に入ってから、そのことが揺らいで来た。もっとも、俺はこれまで友達にそんな話をしたことはなかった。誰もそんなことを言う友人はいなかったし、そんな境目を気にすること自体が少しおかしいのではないかと思っていた。

 そんな考えが揺らぎ始めたのは、量子力学を勉強し出してからである。俺は高校まではたいして物理が好きでなかったが、大学に来たら俄然、面白くなった。物理化学で生きていこうと思っていた関係で、量子力学のマスターは必須だった。

我々、人間のようなマクロな生き物の世界を支配するのは、古典力学と言われる物理学で、これはとてもわかりやすい。古典力学では、時速百五十キロメートルのボールが打者の方に向かって投げられたら、何秒後かに打者のところに必ず届くことがその道筋を含めて正解に予測できる。

ところが、分子や原子や電子などのミクロな世界を支配するのは量子力学で、これは、同じような予測が全く成立しない。突然現れて、突然消えて、わかることはどこに現れる可能性が高いかということだけである。さらにこの物理学では、観測者が見ているか、見ていないかで、結果が違ってくる。とても奇妙で理解不能の物理学だ。

普通、経験的な事を積み重ねて物理学ができて来たのだが、ミクロな世界にいた経験などは誰にも全く無いのだから、普通の人が量子力学を理解できないのはむしろ当然だった。それで悩んでいた時に、どこで聞いたのか覚えていないが、カントの純粋理性批判を読むと良いと知った。

俺は前にも言ったように、哲学書が好きでかなりの本を読んではいたが、カントは読んだことがなかった。有名だから知らないわけではなくて、よく知っていただけに避けてきた。タイトルからして難しそうで、文科系のこの手の本は、意味のない内容を難しく書いてあるものも多く、あまり食指が動かなかった。しかし、今回は、どうしても必要で藁をも掴む思いで読み始めた。

 ところが、純粋理性批判を読んで、本当に驚いた。内容は明快で、カントは科学者だと思った。そして、何よりショックだったのは、この本の主題が我々の内側と外側の世界の境目はどこにあるのかということをテーマしたものだったからである。俺はそれまで、自分がこんな境界領域について考えるのは、少し狂っているからだと思っていた。しかし、他人が同じようなことを考えている事を知って、とても安堵した。さらに、それが大哲学者のカントなら、さらに安心だった。以後、俺はこの問題について、自分なりによく考えるようになった。

 カントによれば、三次元空間を感じたり、時間というものがわかるのは、人間の側にそれを理解する能力があるかららしい。確かに、昆虫は人間みたいに世界を極彩色で見ることはできないらしく、二色か三色の世界だそうだ。人間は、もともと三次元とか時間とかいう事を理解できる能力を備えて生まれて来ている。これが、カントの主張だ。しかし、純粋理性批判を知る前は、俺は人間に特別の能力が備わっている事すら考えなかった。外の世界は、自分と全く無関係に存在していて、こちらの能力は関係ないと思っていた。

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