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第一巻 工場街育ち 12、卓球大会

12、卓球大会

※この小説は、すでにAmazonの電子版で出版しておりますが、より多くの人に読んでいただきたく、少しづつここに公開する事にしました。

 卓球が近所で流行ったことがあった。誰かが玄関の古い扉を持ってきて卓球台にした。その卓球台には真ん中近くに二筋の縦方向に走る溝があった。玉がそこに当たるとイレギュラーをするひどい台だったが、工場街に住む俺たちには全然問題なく、自慢の台だった。俺はこの台で学校から帰って来て暗くなるまで毎日遊んでいた。きっと卓球に向いていたもかもしれない。

そんな時に、向かいの酒田さんの二男坊が珍しく見に来た。酒田さんには男の三人兄弟がいて、この人はうちの兄より二歳くらい上だった。卓球が好きらしく、何回も打ち合ったが、俺は全く歯が立たなかった。そのうち、スマッシュの方法を丁寧にコーチしてくれるようになった。コーチも好きらしかった。俺は、相手の台に思いっきり打ち込むスマッシュが大好きだったが、精度が悪く負けることも多かった。振り切った右腕が耳のところにくるようなフォームでないとダメだと言われ、特訓した。毎日毎日やっていたので、いつのまにか強くなって近所では相手がいなくなった。

そのうちに、大田区の少年卓球大会があるというので、エントリーした。トーナメント形式で、意外にも俺は四試合か五試合を勝ち抜いた。スマッシュも効いたが、ヘリの方とか相手の届きにくい所へとか、汚いサーブばかりやって勝ち抜いてきたのである。何しろ勝ちたかった、自分にどの程度の実力があるのか知りたかった。そして準決勝まで来てしまった。準決勝の相手は、小山という同じ小学校の同学年のスポーツ万能の大柄な奴だった。噂を聞いてはいたが、同じクラスになったことはないのでよく知らなかった。さぞかし、あのデカイ体から強烈なスマッシュが来るのだろうなと覚悟はしていた。

俺と同じクラスには、岩田というやはりスポーツ万能の友人がいた。彼の友達だとも聞いていた。準決勝からは、21ポイント先取の三セットマッチで本格的だった。相手が誰であれ、俺は自分のスマッシュが効くと思っていた。それまでは、誰にも拾われることはなかった。

ところがである、試合が始まって俺は面食らってしまった。小山は、普通に打ってこないのだ。すべてカット、カット、カットである。彼は、カットマンなのだ。デカイ体なのに器用にカットをしてくるのだ。カットのボールは高く弾まないので、なかなかスマッシュができない。無理して打つとすべてネットに引っかかった。一セットめの10対1くらいになった時、観客の中から「なんであんな下手な奴が準決勝に来たんだ!」と、言う声が聞こえてきた。残り試合が少ないので、卓球台の周りは黒山の人だかりだった。

俺は小山を相手にしながら、「好きで準決勝に来たわけじゃない、勝ち続けたらたらここまで来ちゃったんだ。こんな低いボールしか打たない奴とは初めて会ったんだ」と、観客に言い返してやりたかった。結局スコアは、21対2、21対3の完敗だった。俺は穴があったら入りたい気分だった。こんな赤恥をかくとは思っても見なかった。

でも、貧乏人の工場街の子供が準決勝まで行ったんだから、立派なもんだと思い、自分を慰めた。だってあんなにまともな卓球台でやったのは生まれて初めてだったのだから、、、。決勝は、この小山と同じクラスの岩田との一騎打ちだった。21対16と21対18で小山の優勝となった。この決勝は、カットマン同士の試合で、ちっとも面白くなかった。

翌日、学校で岩田と会って話をした。この二人は、卓球でも野球でも良いライバルらしい。卓球は、少し岩田の方が弱いとか、、、。岩田の近所に卓球場があるというので放課後につれていってもらった。それは、広い庭の一角に卓球台が五台くらい置いてあって、有料の卓球場だった。入場料は、時間無制限で五十円か六十円くらいだった。でも俺の小遣いは一日十円くらいで、週に一度しか行けないなあと思った。洋品屋の岩田の家はリッチで、毎日行けるんだと思ったら、何か卓球が急にやりたくなくなった。小山や岩田が特別に上手いのは、当然だった

 卓球は 壊れ扉で練習し 準決勝で ボロ負けしたよ 

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