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第一巻 工場街育ち  2、大洗海岸で

2、大洗海岸で

※この小説は、すでにAmazonの電子版で出版しておりますが、より多くの人に読んでいただきたく、少しづつここに公開する事にしました。

 自分での自覚はあまりないのだが、俺はたいへんな母親っ子だったらしい。俺は小さい頃、ひとりで寝るのが怖くて、母親の枕か寝巻きを抱えて寝るのが常だった。そのうち大きくなるにつれてそんなことは全て忘れてしまったが、、、。

 ただひとつ、今でも鮮明に残っている記憶がある。
母方の実家は、水戸の商家で大きな荒物屋をやっていた。荒物屋というのは表向きの看板で実際は、蚊取り線香や洗剤の現物取引で利益をあげていたらしい。母の兄弟達は、近くに共同で紳士服店を営んでいた。昔は、今のように青山とかコナカのような背広のディスカウント店はなく、全て仕立てのオーダー品でとても高価だった。テーラーでありながら、大きい店を構えていたのだからずいぶん裕福に見えた。どちらも水戸では有名店だったらしい。どちらの店も使用人が多く、彼等の福利厚生として毎夏、海岸近くに夏の間、共同で一軒家を借りていた。実際にはどちらの店も忙しく、借りた一軒家は空いていることが多く、夏の間の数日は、うちの家族でよく泊まりに行っていた。借りる場所は、平磯、磯浜、大洗と毎年違っていた。その中でも俺は特に、大洗海岸が苦手だった、波が異常に高いのだ。小さい頃に俺は、この波に勇気を出して果敢に挑んだことがあった。でも波に呑まれて浜辺をクルクル回転し、海水をしこたま飲んで、息ができなった。浜辺に打ち上げられてやっと何とか息ができた。海は怖いと思ったが、その時なぜか母親の方を見た。母親はこちらを向いてニコニコ笑っていた。俺は、大きくなっても不思議とこの時の光景を思い出す。母親がいつも見ていてくれるというのは、子供にとっては大きな安心なのだろう、『三子の魂、百までも』である。

 お母さん そこに座っているだけで 太陽だった 大洗浜


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