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【実話】貝を焼く人になりたかった

「貝灰って知ってますか?」
と聞かれたのは2014年の夏。知り合いの建築会社社長からあなたにぜひやってほしい仕事があるからと呼び出された。


貝灰(カイバイ)とは貝を焼いたもの。漆喰の材料になる。一般的には漆喰の材料は石灰(せっかい。イシバイとも読む)だ。だが、かつては貝灰が主流で、貝灰の方が調湿性、防臭性に優れ、なにより白さが映えると、日本の名城には貝灰漆喰が使われている。熊本城もそうだ。しかし温暖化の影響で貝の漁獲量が減り、貝を確保できなくなったこと、漆喰を使う家が減ったこともあり、貝灰作りをする会社は減り、現在全国に数えるほどしかいない。そのうちの一人が熊本におり、その貝焼きの技術を引き継ぐ後継者を探しているとだと言う。自分にしかできない技を学べる。身につければ一生物かもしれない。私は後継者になる事を決めた。


数か月後から修行の日々が始まった。毎日往復5時間かけて貝灰焼きの職人Fさんの工場に通った。私はFさんを師匠と呼んだ。師匠は、職人というより町工場の社長という感じで、おしゃべりで、ケチで、アル中一歩手前だった。
毎日朝から酒を呑み、そのまま貝の回収や配送もする。警察に捕まりますよ!と止めても、「125ccはひっかからん」とよくわからない持論を曲げず、助手席にいる私はヒヤヒヤした。
田舎だからか、敷地内で何でもかんでもどんどん燃やし、ふっといなくなり、気づけば近くの草っぱらに火がうつり、裏手の家に火がいきかけた事もあったが
「ちょっと気を抜いたな、ホッホッホ」と師匠は動じない。常に飄々としていた。
その自由な生き方に翻弄されつつもどこか清々しさを感じ、日々は親戚の面白い爺ちゃんの所に通っている感じだった。


貝の安定的な確保のため、牡蠣小屋で捨てられるホタテやヒオウギ貝やアサリを回収し、貝灰になるか実験することになった。通常貝灰には赤貝を使う。(これは地域によって異なる。北海道はホタテを使うらしい)師匠は赤貝以外は焼いたことがなかったので貝を混ぜることによって温度調整をどうするのか、色の変化があるのか、まずは実験することにした。赤貝は貝の提供元の缶詰工場が貝を洗ってくれたのでそのまま焼けたが、牡蠣小屋の貝は醤油やらご飯やら食べカスがついているうえに外で放置されている。ハエがたかり、臭いがきつかったが、黙って毎日貝を洗った。
師匠は、「俺は貝を焼くのが専門だから」と洗浄には関わらず家でTVドラマ「相棒」を見ていた。季節は冬。寒さが身に染みたが、暑い夏の方が貝の臭いがきついので今のうちだと頑張った。貝が一定量ないと焼けない。とにかく数をこなすしかなかった。


2ヶ月経ったとき、やっと貝が貯まり、翌月から焼くことになった。焼く前に近所に挨拶に行くと概ね好感触で「良かったねぇ、来週から頑張ろうね」と私と師匠と社長(貝灰事業に出資していた。私と師匠は社員という形で雇われていた)で話していると、突然男が玄関を開けてずかずかと中に入って来た。

「お前は、何度言うたらわかるとか!!」
男は怒り心頭だった。男は師匠の家のある部落の区長だった。


区長によると、貝灰作りで出る煙は臭いもきつく、外で洗濯物を干すと色が黒くなるし、煙を吸うと頭痛がするほど迷惑なものらしい。何度も行政に苦情を出していたが、師匠はのらりくらりとかわし、
「排煙装置は金がかかる。金を出してくれるならつけるが、今は金がないのでつけられない。焼く回数は減らすし、近所にも謝るから」
と町や保健所の職員を追い返し、口ばかりで何もせず、近所には年に数回の飲み会で酒を数本出すくらいしかしていなかった。区長はもう我慢ができないと訴訟を起こす事を決め、区全員の貝焼き反対署名を集め、後は裁判所に出すだけだと息巻いている。

こいつは馬鹿で人の話は一切聞かんどうしようもない奴だ。元々ここの部落の出身じゃないからって好き勝手しやがって。ここで住めないようになってもいいのか?お前らみたいなよそ者に部落を荒らされてたまるか!!・・・・ひたすら話を聞いて謝った。

私は師匠が男に殴りかからないか心配だったが今回ばかりはじっと耐えていた。男が帰った後、師匠は「ケッ、チンピラ崩れが。裁判なんてハッタリかましおって」
と吐き捨てた。
社長は一点を見つめたまま、
「終わりだ…、いくら排煙装置に金をかけてもここまで関係が悪けりゃ信じてもらえない・・・、2000万が。。。」
と鯉のように口をぱくぱくしながら呟いている。排煙装置の取り付けは来週に迫っていた。

師匠は「すまんかった」と土下座をしたが状況は何も変わらない。一番大切な住民との関係性に関するリサーチができていなかった。貝灰事業部は凍結になり、数日後、私はクビになった。


最後の日、荷物を整理していると、師匠が
「すまんかった。でも短い間でもあんたみたいな若い人と仕事ができてわしはとても楽しかった。元気をもらえた。ありがとう」と真面目な顔で言った。胸が熱くなった。

師匠とはそれっきり会っていない。地震の時、「大丈夫かい」と珍しく電話があったが、少し話すと「これから風呂だから」と自分でかけてきたくせにすぐ切った。師匠は師匠だなとその自由さに思わず笑みがこぼれた。


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