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六本木で神社に合格祈願しに行ったら、おじいさんに出会ってウルドゥー語専攻から日本専攻に変わった話。

高校3年生の私の出会いを忘れてしまわないうちに。

人との出会いは、ちょっとした出会いでも、時にその人の運命を大きく変える。
そんな事があるよって、お話。

タイトル通り、志望校のお話なのだけど、
高校3年生の2月。


大学入試センター試験(今の大学入学共通試験ね)を終えた後、国立大学試験までの間に、イテツク寒い冬、私はひとりで、六本木の神社に向かっていた。

その神社は、出雲大社東京分祠であり、“縁結び”神社だった。

私が大学進学を決めたのは、より面白い人と会いたいからであり、入試突破の“天満宮”より、いかに面白い人達と“縁“を結んでもらうかと言う点が重要だった。
(高校は高大連携、エスカレーター式の学校だったけど、より色んな人に会いたくて別の学校を受験することにした。)

“縁結び”は、島根県の出雲大社が強力だと、その当時も有名で、その東京支店があるというから、これは六本木なんて高校生で行ったこともなかったけど、参拝せねばならぬ、

神に私とこの世の大学に潜む面白い人々との縁をこれでもか!と結んでいただかねば、この入試の話は始まらんと思い、勉強はそこそこに“縁結び”神社を一目散に目指していた。

そんな、10代の私の“面白い人“幅が広がる一大事の祈りの時に

私は案の定、道に迷った。


六本木の駅からすぐの神社なのに、なぜか逆方向にすすみすすみ、慣れてない土地で居場所が分からなくなってしまったのだ。


左もビル、右もビル、前の後ろもビルで、大変に困った私は、表通りから少し外れて裏路地に入った。そんなことをするから、ますます分からなくなって、途方に暮れていたら、タイトル通りお爺さん👴に出会った。


そのおじいさん👴は、六本木で草履に綿入れだった。

白髪の短髪で、無精髭を生やしている70代くらいの人だった。寒そうに、両腕をさすっていた。


一目見て、地元の人だと直感し、話しかけた。

「あのー。道に迷ってしまって・・・。」

おじいさんは、やはり六本木が地元の方で、出雲大社東京分祠も知っているので案内してくれるという。その道中で、黙って行くのもなんだから、私は、受験生で、その上、なぜ“縁結び”神社を探しているのかを話し、自分がいかに世界に目を向け、そして目指す大学ではウルドゥー語を専攻しようとしていることも熱く語った。




え?ウルドゥー語って何って?


この言語は、パキスタンとインドの公用語である。

なんのこっちゃと、いつもは省くけど、noteなので少し小学生の頃まで話を戻すので一瞬お付き合い願いたい。


私は小学生の時の夢は「国際公務員」で国連の中の人になることだった。オゾンホールについて発表したときに、国連に触れ、この中の人になって環境保全の一役を担いたいと思ったのだ。
その夢の道筋を付けるために、中学生の職業体験の時には、自分で独自ルートを体験場所を開拓していいと許可をもらい、青山にある国連大学へ職業体験へ行った。その際に、国連の中の仕事よりも、フィールドワークのような仕事の方が自分に合うのでは?と思った話は置いといて、世界の人口統計に初めて出会った。

2008年時の統計だったけど、2010、2020年までは中国の人口がNo.1だけど、2020年代以降、インドが人口No.1となる。

そんな人口統計を教えてもらい、そうか、15年後にはインドが覇権を持ち始める。覇権国家の言語を話せることは、どこの業界でも有利だろう。私はインド語をマスターするのだ。そして、どの業界からも引っ張りだこ!ははは!と、中学生の私の単純思考で思ってから、ずっとインドの人口と共にRRRが私の頭の中で鳴り続けている(嘘)


インドの公用語は22言語あり、ビジネスは北インドだと知った私は、北インドで話されているであろう、先のウルドゥー語にたどり着いた。(やっときたね!)(しかし実際は、パキスタンがメインみたいだよ!)




まあ、そんなこんなで、色々、中学高校と経て、海外に目を向けていた私は、ウルドゥー語によくぞたどり着いただろう!という自慢も兼ねて、おじいちゃんに伝えたのだった。


「お嬢ちゃん、よく聞いてな。
 インドでな、ビジネスしててウルドゥー語を話ているやつはいないよ。
 みーーーーーーーーんな、基本は英語。」


そう。

六本木で出会った、このおじいちゃんは、たまたま国連経験者だった。
そして、たまたま、インドに会社を持っていて商売していて北インドに行ったことがある人だった。

インドの会社やインド人の名刺を財布から、数枚くらい見せてくれて、
これも北インドだけど全部英語表記でしょう?これもパキスタンに近いところだけど、それでも英語表記だよ。君が言っているのは、彼らに対してウルドゥー語を話せたら、優位にビジネスがいくってこと?


井の中の蛙、大海を知る。

まさにその瞬間だった。
衝撃で、あまりのことに、私のいつものお喋りも止まり、インド名刺を持って顔を引き攣らせている私におじいちゃんは言った。

「お嬢ちゃん。日本のことって、どのくらい知ってる?」
「日本人としてな、海外に行く時に、現地で自分一人だけが日本人だった場合、あなたの国では、経済は教育は政治はどうなっている?と、日本人代表として質問されるんだよね。それに、今、どのくらい答えられる?」


蛙(私)、海があることを知ったばかりで、呼吸するのが精一杯だった。

「海外に目を向けてるのは、それは大層なこった。ウルドゥー語までたどり着いたのも素晴らしい。じぃは、貴女に、このまま海外に目を向け続けて欲しい。けれど。

自分の国のこと、日本のことって、知っておても損はしないんじゃない?
さて、ここが探していた出雲大社東京分祠だよ。受験生に幸あれ〜。じゃあね!」

と、右手をひらひらさせて、呆然としている私を置いて、颯爽と去って行った。

しばらく、鳥居の前に立ちすくみ、インド日本ウルドゥーパキスタン日本インドと頭の中が混乱していた。

そこに、私の知らない海があった。知るべきは足元だった。


そんなこんなで、ウルドゥー語→日本へ、
日本の文化、政治、経済、教育などを広く浅く大学で学ぶことになり、それは確かに今も、アップロードしつつ現在も役に立っている。教養身に付けてんのか?って話だったのよね。

ひょんな出会いが人を変える。
おじいさんは、もはやどこの誰で、本当にインドで働いていたかも分からないけど、アドバイスは今から考えても的確で、ここから私の方向性がガラリと変わった。

出会いが人を面白くする。。。かも?🤣

(ウルドゥー語専攻してたら、それはそれでめちゃ面白い人々に会えた気もする…けどね!(笑)全部正解!◎パキスタンで報道マンしてたかな…)


読み返して思ったけど、このあと、大学にそのまま行くのをやめて、企業の真似事とかNPO法人立ち上げたりとか日本についての情報誌とかを発行した?したがるんだけど、

結局、色々やって、同志と異業種のメンバーも必要なのでは?と考え、日本専攻の大学に行くことになる。と。周り回るワケですな。

何で大学行くのかが、高校生の時は分からなかったから。色々チャレンジして失敗して、大学に行く意味をつかんだのでした。




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