幸せの定義

はじめに、ぼくは幸せの定義などという答えのないものを考えがちなやつです。そっと見守ってください。

このような答えのないものを考えると、いろいろな経験の中で自分の答えすら変化していくものだと思っています。

そのため、答えが変わるたんびに更新していこうと思います。

幸せとは(2020年1月)

幸せとは「楽しいこと」、より具体的に言うと「笑う」だと思う。

なぜなら

・楽しいと笑顔になる
・笑顔の人を見ると印象がいい
・笑うと楽しい
・楽しいと幸せを感じる

と思うから。

ぼくの直近でのエピソード

年始に祖父母のお家に行った。家族など合わせて7人でカニなどを囲んで、そのあとにはビンゴをする。これがぼくの毎年恒例の行事だ。

ひとしきり騒いで、次の日、目が覚めると腹筋が筋肉痛になっていた。原因は「笑いすぎ」だった。

お腹は筋肉痛で痛かったが、心はとてもハッピーになった。そこでこれが幸せなのかと、お腹の痛みとともに実感した。

笑いすぎてお腹が筋肉痛になるというのは、珍しいかもしれない。

ぼくの経験の中でトップレベルに幸せを感じる大きな出来事であった。

逆に人生に「笑う」がなかったら

想像してみてほしい。これからの人生、一度も心で笑うことができないと確定していたら。

ぼくだったら、明るい未来を想像できない。幸せな人生とは言えないと思う。

幸せとは(2020年2月)

幸せとは、「夢中になること」。

あることに夢中になると、他のことをしている時も、そのあることについて考えてしまう。他のことはおろそかになってしまうが、そのデメリットを踏まえてもなお、幸せだと感じると思う。

指示語が多いので、具体例を考える。

高校生でゲームに夢中になっているとする。

家では毎日、親に叱られながらゲームで遊ぶ。学校で授業を受けている時は「どう攻略しようか」「家に帰ったらこうしてみよう」などとゲームのことばかり考えて、勉強がおろそかになる。

社会人で釣りに夢中になっているとする。

出勤中、仕事中、残業中、いつも釣りに関すること(「新商品ほしいな」「次はどこで何を釣ろうかな」など)を考えていて、仕事でミスして上司に怒られる。

一見、本末転倒に思えるかもしれない。

特にゲームは、飽きてしまった時「ぼくはなんでゲームにばかり時間を消費して勉強しなかったんだろう」などと後悔するかもしれない。

しかし、思い返してみてほしい。ゲームをしていた時間はなぜか、とてもすばらしい思い出として深く刻まれているはずだ。

ゲームに限らず、何かに夢中になっていた時間は、何物にも代えがたい思い出として、心に印象深く残っているはずだ。

その思い出を思い出すたびに、あのときは楽しかったな、幸せだったなと感じると、ぼくは思う。


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