見出し画像

完璧主義は楽しくない

皆さんは自分自身のことを、完璧主義だと思いますか?
それとも不完全主義だと思いますか?

私は完璧主義でしたが、数年前に不完全主義に転向しました。
転向したきっかけは些細なことでした。


当時、私の趣味はバーで夜な夜なダーツをすることでした。
そのバーにはダーツが上手い人が多く、その人たちに誘われて教わったのがダーツを始めたきっかけです。
最初は当然、狙ったところに入らないわけですが、何日もバーに通い詰めているうちに少しずつ上達していきました。
しかし、相手に勝てないのなら対人の勝負をするのは嫌だと、一人で黙々と練習を重ねました。
酒を飲んで会話を楽しみながらやるのもダーツの魅力の一つなのに。

練習をしていくうちに、常連の人にももしかしたら勝てるのでは?と淡い期待を抱けるくらいの実力にはなりました。
そして、常連さんに挑戦してみますが、結局はボロ負け。
悔しくてさらにダーツに熱が入りました。

対人の勝負を意識してからはより精度を求めるようになりました。
ダーツは対人といっても相手のパフォーマンスが直接的に自分のパフォーマンスには影響するものではないので、自分自身との戦いとも言えます。
ですから、狙ったところに入ってもある意味それが当然で、入らなかったときには自分の実力が出せていないことに苛立ったり、落ち込んだりしました。

ダーツは一回の手番で3本の矢を的に投げます。
当時の私は調子がいいと、3本中2本はブルと呼ばれる的のど真ん中に入るくらいの実力でした。
さらに上手くなりたいと思うと、無意識的に3本中2本は入れなければいけないという感覚になっていました。
しかし、現実はそう上手くはいかず、最初の1回から3本ともブルには入らないこともしばしばありました。
すると、この失敗を取り返すのはもう難しいので、そのあとはなんとなく投げやりになっていたのを覚えています。

成長を実感できたときは楽しさを感じましたし、相手に勝てたときはとても嬉しく思いました。
しかしその過程、つまり練習をしている段階ではそれほど楽しさを感じることは多くありませんでした。

こうやって文字に起こしてみると、つくづく自分が根っからの完璧主義だったことを思い知ります。
そして完璧主義は楽しくなさそうということにも気が付かされます。

今なら完璧主義は絶対に良くないと断言することができます。
完全主義はなぜ良くないのか。
私なりの考えをまとめます。

完璧主義だと何かに挑戦することに抵抗が生まれます。
結果が確実に出るまでは挑戦しても無意味だと思ってしまうのです。
失敗を得たものの一つとして感じられないので、成功して成果が得られるか、失敗して何も得られないかのどちらかでしか判断できなくなります。

また、完璧主義だと経験によって得られることが少なくなります。
完璧主義のマインドだと、何かの挑戦中に少しでも失敗すると、そのあとの経験は全て無駄のように感じられます。
最初から最後まで自分の思い描いたようにできないと、成果があったとしてもそれは計画されたものではないから本当の成果とは言えない、というように部分的な成果や結果を素直に受け取れなくなります。

さらに、完璧主義では挑戦することに楽しさを感じにくいです。
完璧主義者にとっては、どんな挑戦をして、そこにどんな過程があったとしても、結局は成功か失敗かのどちらかなのでなので、成功すれば楽しいけど失敗したらつまらないとしか考えられません。
楽しめる幅が極端に狭まってしまいます。

せっかくの人生、楽しい方がいいに決まってます。
人生を楽しむために、完璧主義のレールから一度降りてみましょう。
一度降りれば不完全主義に一歩前進です。

人生に疲れた社会人や自分で自分を追い詰めている子どもたちにこの声が届けば嬉しいです。


このテーマについてはまだまだ話足りない気がするので、今度続きを書いてみようと思います。
もしよければ次回以降もお付き合いいただければ幸いです。

コメントもぜひよろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?