少子高齢化の方が戦争より悲惨なのかもしれないという話
男女平等とか夫婦別姓とかLGBTみたいな話をしているわけですが、たぶん後世の人から見ればこの時代の人間はおかしいと思われるのだと思う。
強烈な少子高齢化がじわじわと人間を苦しめていくのに、それがわかっていて結婚したら名前がどうだのみたいな話してるってなんて呑気なのだろうと後世の人は今の我々を怨むに違いない。
我々は本当に悠長である。選挙もあったけれど、なんていうかそもそも少子高齢化がイシューとして存在感がない。
それどころかどんどん触れにくくなっている。
前に記事を書いたが、少子高齢化とは本質的には女性の問題である。
少子化は子どもを産まない女性がいて、そもそも産む女性の数自体が減る。
高齢化は男に比べて女が長寿であり、社会保障に莫大な金がかかる。
ほとんど女性にかかっているような問題である。しかし、それゆえに我々は批判も検討ももはやできない。少しでも女性に不利益なことを書いたら最後、もう炎上必至である。
従って、我々はこの問題に関してやんわりとしか取り組めない。もっとラディカルに取り組まなければならないのに。
少子高齢化が戦争よりヤバいのかもしれないと思うのは、つまりここで全員死ぬか負傷者を置いていくかと選択を迫られた時、我々は戦争下であれば、きっと置いていくことができるのだと思う。
それがどんなに非道であったとしても。我々はたぶん、全体を救うために置き去りにする。そうすれば置いていった人が死ぬと分かっていてもたぶんする。
しかし、少子高齢化では皆それができない。
とにかく全員救うのだ、お年寄りから産まない女性まで全員を確実に救うのだと言って聞かない。
その結果、自分含め子々孫々全員が苦境に立たされると分かっているのに。
ちなみに男は救われないことがわかっているのでもはや、自分でなんとかするしかない。
そこで弱者男性論とかに走っても、そもそも女ですらいずれ救われなくなるのに男なんてもっと救われないからである。
後記
この記事の前に記事を二つほどボツにしている。
一つは生と死についての記事で、もう一つはディープフェイクの記事だったが、前者は書いてるうちにまとまりがつかなかったのと、後者は書いてるうちにどうでもよくなってしまった。