寿司ペロ賠償金と水着撮影公園使用禁止問題に見る、中高生の生きづらさ〜毒親から毒社会へ〜

子どもを理想通りにコントロールしたい大人

寿司ペロ問題で現在訴えられている少年は思いっきりバッシングされている。
そして水着撮影問題では中学生がバッシングされている。
僕がここで中学生がバッシングされていると書くのには理由がある。
中学生はバッシングされていないだろうと思っている人は多い。確かに多くの人が中学生の水着撮影会を問題視していてさらに、気持ち悪いと思っている。
しかし、それに参加した子らがそのようなことを書かれているのを見たり聞いたりすることを全く理解していないように思うのである。
ましてや、イベントが中止になっているという責任を中学生の子が感じざるを得ず(自分のせいでイベントが中止になったと考えるかもしれない)大変まずい状況だ。

中高生に責任能力があるのかないのか?

僕が常々思っていることは、青少年が犯罪を犯したときだけは、少年法なんていらない!責任を取らせろ!と吹き上がるこの日本国民が
いざ性の問題となると急激にトーンダウンし、いや未成年に判断能力同意能力などない!といって中高生の性事情をやたら抑圧する。
僕は大人とは汚いと思う。日本国中このダブルスタンダードで溢れている。
一方では判断能力が未熟だと言って権利を取り上げて規制しておいて、いざ大人が不利益を被るようなことがあれば途端に責任能力があるとみなされ、罰を与えられる。
もし中高生がまともに判断も同意もできないといって自由にセックスする権利を取り上げるのであれば、同じ理屈で寿司ペロくんも判断能力未熟として無罪放免にしてやればいい。
しかし、そのような大人は現実には見ない。もっとやれ、絶対に許すな、こんな声ばかりだ。

中学生の水着撮影会は問題か?

僕は極度の自由主義者なので、本人が出たければ出してあげればいいし出たくなければ出なければ良いと思っている。それ以上に言うことがない。
なんだか、イベント中止問題でだんだん中学生が出演するのが悪いよねみたいな話にすり替わってるけど、やってることが気持ち悪いこととそれがいいかどうかは別問題です。
僕は僕自身が気持ち悪いと思うようなことでも、その人自身がやりたくてやっているのであれば止めようとは思いません。
僕は気持ち悪いとは思わないです。思いたくない。そうやって撮られて人前に出てちゃんと立派に被写体をされた中学生が傷つかないことを祈ります。
中学生だって、自分がどういう目で見られているのかくらいわかっているし、その上で出るか出ないか自分で判断して決めればよい。
中学生を馬鹿にしすぎではないかと思う。あなた方が中学生だったころそんなに性知識に乏しく純粋無垢だったんですか?と聞いてみたくなる。
舐めるなと。

毒親から毒社会へ

毒親という言葉がある。好きではないが。
そしてこれが今や社会全体がそうなりつつあるということである。
子どもにとって少しでも危険・不快なものを取り除いてあげて安全でクリーンな社会を実現してあげてるのよ。というわけだ。
そしてその支配によって未成年は苦しんでいる。社会がこんなにも未成年の判断力が無いとバカにして守ってやるといえば言うほど未成年は苦しい。
似たような話で、ブラック校則というのがある。
スカートの丈はこれくらい、下着の色はこの色で髪は黒じゃないとだめで、そういったブラック校則は普段批判されているのだ。
しかし、批判しているにも関わらず、未成年に対してブラック校則ばりの管理をしてしまうのがこの社会なのである。

結論、子どもはおめーら大人の言う通りにはならない

子どもは逸脱するものである。我々の予想を超えるものである。
どんなに縛ろうと、どんなに監視しようと、思い通りにしようと、法律で縛ろうと。
大人の予想通り、思い通りの子どもを押し付けるのはもうやめるべきた。
大人のすべきことはコントロールすることではない。自由にさせ、失敗したときに助けてやることだ。
最初から傷つかせない失敗させないように、すべての障害物を社会から取り除いてやろうなどということは考えるべきではない。
子どもに失敗する権利を認めてやるべきなのだ。
失敗して傷ついて今思えば馬鹿なことをして、そうやって成長する権利が子どもにはある。


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