オキナワンロックドリフターvol.80

ナユタさんとの会食を終え、さっちゃんと中の町のモスバーガーで別れ、バッグをコザクラ荘に置くと最後の夜の楽しみである夜の散歩にいそしむことにした。
スタートはパルミラ通りから。
飲食店が立ち並ぶようになったパルミラ通りも長い不景気と北谷やうるまに客を取られたせいなのか、すっかり明暗が分かれてしまった。
韓国居酒屋『せりかの店』と、移住者のおばあさんが切り盛りしていたランチバイキングの店『ブ~ケ』が閉店してしまっていた。
『せりかの店』のあった蔦絡まる建物は寂しげにそびえ、『ブ~ケ』の、まだ真新しい看板はぽつんと残されたままだ。
マサコさんが営む『コザクラ』は健在だし、スポーツバー"Side ways"も、沖縄の芸人さんたちの憩いの場である『パーラーりんりん』もがんばっている。
しかし寂しい。
中央パークアベニューも歩いてみた。
マリーさんのお店"Asian Rose"の店の明かりが煌々と光っていて、微かにマリーさんの歌声が聴こえたのだが、何故か来店する気になれず、踵を返してゲート通りをうろちょろすることにした。
“7th Heaven Koza”は週末営業のみとなり、消えたネオンサインが寂しかった。
歩道橋も撤去されて街の明かりを見下ろすことが出来なくなってしまった。
仕方なく、コザの夜空を見上げることにした。
初来沖初日に手痛い歓迎を受けたゲート通りのバーを横切ると、窓の向こうでマスターが、ラジオかテレビのジングルを依頼されたのだろうか、Macを真剣な面持ちでいじっており、その相変わらずさに苦笑いしてしまい、声をかけずに先を進んだ。
園田の深海のように青い照明が印象的なバーはまだ健在だった。
かつて、『アルカトラズ』というバーがあった場所は『ザ・ベストテン』というカラオケスナックになっていた。せっかくだからと立ち寄り、3曲ほど歌ってきた。しかも、何故か歌ったのは昭和の歌謡曲ばかりだった。いっこく堂さんに瓜二つのマスターに代金を支払い、『ザ・ベストテン』を後にした。
中の町はまだ眠らず、夜の灯を点していた。24時間スーパーのユニオンは酔っぱらいが発泡酒を買い込み、近くの公園で酒盛りをしていて、コザならではの風景だよなと思いながらも足早に通りすぎた。
いくつか新しい店も見つけたものの、前に見かけたフィギュア専門店は閉店し、空き店舗になっていた。
明日で旅は終わり。大学受験もあるし、しばらくはこれないからとプラザハウスまでてくてくと歩いた。
GyaO!で配信された、懐かしのSFアニメ『銀河烈風バクシンガー』のエンディングテーマ、アステロイドブルースを口ずさみながら。
http://sp.utamap.com/showkasi.php?surl=dk100805_11

新撰組をモチーフにしたキャラクターが出てくるこのアニメは、波瀾万丈の展開の挙げ句、主要キャラクターがあっけない程に全滅してしまうという悲しいラストを迎える。なんでそんなアニメのエンディングテーマを無意識に口ずさんだのかと今でも不思議に思うと同時に、これからの自分自身を待ち受ける悲惨な日々を予知して、鼓舞するために唄ったのかなとうっすらながら思った。
俊雄さんとの再会、正男さんとの初対面、さっちゃんとの交流により払拭されたトラウマ、ムオリさん、チーコさん、イハさんとの再会、新しい店舗を構えたオスカーの誇らしげな顔、清正さんとの長い話、スタッフ一新による“Coconut Moon”の変化、新垣さん、Mr.スティービーさんとの出会い、ロコさんの態度にムッとした土曜の晩、馴染みの店や馴染みの人たちとのひととき、コザクラ荘での滞在、ナユタさんのオキナワンロックの今後への意気込みが走馬灯のようにくるくると脳裏を回っていった。
あまりにも濃くあっという間の4日間だった。
今度はいつここに帰ることが出来るのか。
また中の町沿いのゲート通りに戻り、振り返りつつ空を見上げた。
私の後ろには賛否両論のミュージックタウンが闇夜にぬぼーっと立っていて、薄ぼんやりながらも不安になってきた。
風は冷たく、私はコートの襟を立て、コザクラ荘へと戻った。
翌日、熱っぽさはないものの、いがらっぽさと体のだるさが残った。
せっかくだからと私は前から気になっていた北中城村にある『ローズガーデン』で朝食を取ることにした。
ウィークデーだというのに店内は将校クラスのアメリカ兵ないし、移住者のご夫婦だろうか、まるで60年代のホームドラマか家事スキルの雑誌のグラビアさながらに微笑み合う初老のアメリカ人夫婦や、金属音みたいな独特な発音の北京語で会話している華僑の人々、慣れた手つきで厚切りのベーコンをナイフとフォークで切り、口に放り込むオバアで賑やかだった。
“I was born in Okinawa”リリース時のマリーさんを思わせるハーフのウェイトレスさんがオーダーを取られた。
風邪気味なのでお勧めはと尋ねたら、ビーフオニオンスープかミネストローネがいいわと即答された。
ウェイトレスさんのお勧めに従い、ビーフオニオンスープにした。
運ばれたスープはよく煮込まれた牛脛肉と玉ねぎが舌の上でホロホロと溶け、啜る毎に体に暖かさと滋養が広がった。
あんまり美味しい、美味しいと絶賛していたからなのか、ウェイトレスさんはジョッキレベルの大きなマグカップに入ったカフェオレを持ってこられた。
頼んでませんが?ときょとんとしていると、「うちの店のご飯が気に入ってくれたようね。私からサービス」とウィンクされた。
コーヒーはあまり得意でないが、ミルク多めのカフェオレはミルキー感とコーヒーのコクのバランスが良く、飲み終えた頃には体がすっかり温まった。
「また来ます!」
会計を済ませ、ウェイトレスさんに大きく手を振り、北中城村を後にした。
最後は普天間天満宮で合格祈願をし、いざ、那覇バスターミナル行きのバスへ……と思ったその時、歩道橋で足を滑らせて足を挫いてしまった。
今思うと、それは旅行後に降りかかる不幸の前触れだった。
私は足を引きずりながらバス停へ向かい、普天間を後にした。
帰りの飛行機は疲れと風邪の名残からか熟睡し、気がついたら福岡空港へ着陸していた。私は博多駅に着くと、帰りの特急を待ちながらお世話になった人たちにお礼のメールを送信した。
さっちゃん、ナユタさん、新垣さんからはすぐに返信がきた。
ムオリさんからメールがきたのは、帰りの電車の中だった。
労いの言葉の後にはこう書かれていた。
「まいきー、昨日、ロコの店に俺だけで行ったけれど、ごめん、ロコの店にはもう行かないほうがいい。ロコはまいきーをかなり嫌っている。あいつね、前にアイランドに勤めていたからさ、さんざあの兄弟の悪いところ見てきたんだよ。まいきーがアイランドを好きなのを知って、嫌な記憶が甦るんじゃないのかな?とにかく、余計なトラブルを避けるためにもまいきーはもうロコの店には行かないほうがいい。ごめんね」

ああ、やはりな。私はロコさんに嫌われていた。私もロコさんが苦手だが、彼女も私の表情を通してそれが伝わったのかもしれない。
ムオリさんには忠告ありがとうと返信しつつ、私は大きくため息をつき、むせるように磯臭い潮風が吹く町へ戻った。
わかってはいたものの、帰り際にえらいダメージだった。
私は祖父母にお土産を手渡すと、さっさと風呂で体を温め、寝逃げするかのように夕飯もとらずに布団に潜り込んだ。

そして、翌日。出勤し、フェイク土産として楽天で取り寄せた新潟の煎餅を会社の先輩方に配り、主任とコンサルタントには個別のお土産を渡した。
しかし、なんだか様子がおかしい。
主任は冷笑しており、先輩方は腫れ物に触れるように私に接している。
シフト表を見てその理由がわかった。
私のシフトがフルタイムから繁忙日である木曜と金曜以外は半日に減らされていたのだから。
相談もなしのあんまりな仕打ちに私は目を見開いた。

(オキナワンロックドリフターvol.81へ続く……)
(文責・コサイミキ)

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