オキナワンロックドリフターvol.33

はじめましてという件名のメールは思ったより丁寧な文体で、差出人が名乗られた名前にふと既視感を覚えた。
メールチェックと並行して宛先人の名前を検索すると、雑誌媒体等で見聞きしたことのあるサポートミュージシャンの方で後退りした。その名のある方が何故私のような何もない人間にメールしたのだろうか?
私はメールを読み進めた。
その方(以下 セードルさんと呼ぶことにする)は、80~90年代はサポートミュージシャンとして活躍され、今は拠点をアメリカに移し、サンフランシスコに在住しているという。
著名バンドやアーティストのサポートツアーメンバーとして参加し、そのために沖縄にもちょくちょくこられ、ツアーの打ち上げに来店したアイランドで城間兄弟を知ったという。
それから、ツアーで沖縄に来る度にアイランドに来店しては城間兄弟に会い、プライベートで来沖すると城間兄弟が色々観光案内をしてくれたり、ビーチパーティーを開いてくれたという。しかし、90年代後半、音楽バブルの一過性に不安を感じた矢先にアメリカでの仕事が入ったのを機に、アメリカに仕事の拠点を移したとセードルさんのメールには書かれていた。
その時には既にアイランドは閉店していて、セードルさんは城間兄弟にきちんとしたお別れができなかったそうだ。
アメリカでの目まぐるしい日々に追われ、やっと軌道に乗り、久々に連絡しようにも以前の住所に手紙を送ったら宛先不明で返送され、どうしているかとネットで検索したら正男さんの事件を知り、途方に暮れたそうだ。
「そんな中、貴女のサイトを見つけ、貴女が城間兄弟の連絡先をご存知と知りました。城間兄弟はどうされていますか?俊雄さんはお元気ですか?良かったら俊雄さんと連絡を取りたいのですが……」
その文を読み、まだ城間兄弟を思ってくださる方がいるという嬉しさと同時に、まずいことになったなーという不安が渦巻いた。
現段階では正男さんはもちろん、俊雄さんにもセードルさんの話をするのは危険だ。
もし、その話をしたことでお二方が過剰に舞い上がり、トラブルの引き金になったら?
そして、もしうかつにセードルさんに城間兄弟の連絡先を教え、城間兄弟がセードルさんに依頼心を剥き出しにし、セードルさんを落胆させることになったら?
取り返しのつかないことになる。責任重大だ。

私はどうにか平常心を保とうと、何度も何度も下書きしながらセードルさんへの返信メールを打った。 主に城間兄弟の現状、今のコザの現状を簡潔に。そして、城間兄弟についてかなりつらい話をしなければならないけれど覚悟はされているか?と。 心臓を押さえて私はメールを送信し、最寄り駅のコンビニで買った求人雑誌に目を通した。 セードルさんからは、すぐには返事はこなかった。 その間に私は転職活動をしたもののなかなかうまくいかずに不安だらけだった。 10社目に受けた販売業の二次面接の通知がきた頃、セードルさんからメールがきた。 「それを踏まえて、兄弟を連絡を取るかということですね。覚悟はできています」 メールの文面から、セードルさんの意思と城間兄弟を思う気持ちが伝わり、私は最初の来沖の際、ゲート通りのバーで聞かされ、二度目の来沖の際、ココナッツムーンでリナママさんから聞かされた“城間兄弟のしたこと”をセードルさんに返信した。 激しい痛みは伴ったが、情報収集はこんな形で役に立ったのだ。 セードルさんから思ったより早く返信がきた。

「お返事ありがとうございます。そんなことがあったとは……。けれど、僕はあのお二人を根っからの悪人とは思えないのです。今も遊びにきた時に出迎えてくれたお二人の笑顔や朝まで飲み明かした想い出が忘れられません。しかし、コサイさんが心配されるように、僕が連絡するのは今はまだ時期尚早でしょう。コサイさん、良かったら僕に不定期でもいいですから城間兄弟の様子を教えてください」

セードルさんの真摯な気持ちがひしひし伝わるメールだった。 私は、城間兄弟を思う者として共感し、弾みで快諾した。 もう一人の冷静な自分が、「馬鹿!自分の状態を考えろ。まだ職も決まっていないのに」と、ツッコミを入れたが、きちんと思ってくれている人の存在がいるのを知ったらお二人の力になるだろうから私は快諾した。

池袋ウエストゲートパークの真島誠になった気分だなーと思いながら、私とセードルさんのメールのやり取りが始まった。
同じ頃、ダメ元で受けた販売業の二次面接に挑み、採用の通知がきた。沖縄旅行から2週間後、どうにかニート脱出できたのだ。
採用通知の電話を頂いた時、いいことをしたからそのご褒美なのかなとふと思った。
仕事は当初は日配商品の品出しのはずだったが、都合により惣菜部に配属された。
調理を覚えられるからいいかと前向きには考えていたが、最初は慣れずに右往左往するしかなかった。
パートタイムから始める筈が忙しい部署に配属されたことでいつの間にかフルタイムに入ることになった。
前の職場程ではないが収入が安定し出した頃、サイトの掲示板が賑やかになってきた。
後追い世代がオキナワンロックのサイトをやっている物珍しさからだろうか、色んな方々が書き込みにこられた。
特に想い出深いのは沖縄に長く移住されている島ナイチャーのダイさん、福岡在住のイラストレーターのフランさん、そして、長い付き合いとなる千葉在住のバンドマンのテルさん、大阪在住のGS好きなナオさん、福岡在住でCDショップ勤務のパティさんである。
それぞれの方が紫や沖縄ロックの想い出を掲示板に書き込んでくださり、その書き込みが日々の生活にあたふたした私の癒しと活力になっていた。

しかし、その数ヵ月後、私の失態と失言でサイトの常連の大半を失い、さらに3年後には仕事の人間関係が発端となり、1年近く困窮するはめになるのだが、それはまた別の話。

(オキナワンロックドリフターvol.34へ続く……)

(文責・コサイミキ)

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