真夏の夜のジャズ



以前から見たかった記録映画。それが!1958年のニューポートジャズフェスティバルを撮った『真夏の夜のジャズ』です。

ジャズはちびちび齧る程度しか聴いていないので観ていいのかな?大丈夫かなと思いながら観ましたが、ジャズがわからなくても、1958年当時の東海岸のポップカルチャーやファッション。寒暖差あるニューポートの昼と夜がわかる観客の服装や演奏を聴きながらつまんでいる食べ物等、50年代後半の『古き良きアメリカ』の断片が映像に閉じ込められたそんな映画でした。

監督はバート・スターン。写真家である氏の撮る映像は水の揺らめきやフェスティバルを楽しむ人々の小麦色の肌、スノッブ気取りのまだ若い女性が羽織る朱色がかった赤のカーディガン、フェスティバルに向かうミュージシャンを怪訝そうに見ているニューポート在住の老婦人の小花を散らした洒落た帽子と黒のドレス、汗だくでホテルの部屋で練習しているミュージシャンたち、音楽に合わせて踊り狂い、ビールで喉を潤す若者と、ひしめきあう彼らの隙間を鰻のようにすり抜けながらビールを給仕するホテルのスタッフ(ビールを盗み飲みするも泡に噎せる姿が撮されていて人間臭いなあとほのぼのする反面。今なら炎上ものなんだろうなと遠い目に)、半裸で水遊びやかけっこに興じる子どもたち等フェスティバルでの光景に重きを置いているので、熱心なジャズファンには今一つなようです。
現に、ジャズに疎い私ですら、セロニアス・モンクの激しくも情緒的な演奏を途中で切って、同じ時期に行われたヨットレースの光景に切り替わるところは「てめえ何しやがるってかんじ!最後まで見せてくれよ」と内心毒づきたくなりました。
しかし、それでもミュージシャンを魅力的に映しており、特にこの映画でのアニタ・オデイは黒のノースリーブのドレスと白いふさのついた帽子のコーディネートの見事さと相まって鳥の女王のようなのです。
日に焼けて散ったそばかすに今のアメリカの美意識なら眉をひそめられそうな歯並びとガミーフェイスのアニタ。しかし、この映画の中の彼女は独特のスタッカート強めな歌唱法と相まって最高に輝いています。
特に「二人でお茶を」は、「え?原曲どこ?どこに行ってしまったの!」と狼狽えたくなるくらいアニタ節炸裂です。
盲目のピアニスト、ジョージ・シアリング率いるジョージ・シアリング・クインテットによる、夏のジャズフェスティバルにぴったりな情熱的な曲『ロンド』、前衛的な、まるで風船の中に入ったようなドレスに身を包むダイナ・ワシントンの弾けるような歌声による「All Of Me(オール・オブ・ミー)」に聴き惚れましたが、個人的に惹き付けられたのはチャック・ベリーの「Sweet Little Sixteen(スウィート・リトル・シックスティーン)」。チャックが唄うと、若い観客達がまるでトランス状態に入ったかのように踊り狂うさまは、ロック・ミュージックの萌芽が記録された瞬間だと思いましたし、セクシーなのにほんのりあどけなさを感じるチャックの佇まいに、こちらも映像の中のチャックに熱狂する少女たち同様に矯声をあげたくなるのです。
サッチモことルイ・アームストロングの演奏は空気を変え、そのアーシーかつ優しい世界観はとうの昔に信じられなくなった性善説をほんの少しだけ信じたくなりますし。つかの間とはいえ、まだ公民権運動が始まったばかりで揺れるアメリカで、この場だけは人種や信条関係なく音楽を通してひとつになれた時間が刻まれていました。
映画の最後を飾るのは、マヘリア・ジャクソン。調べたところ、マヘリアは商業的には成功をおさめたものの、それ故に黒人コミュニティでは白眼視されていたようですが、それを微塵も感じられない程圧倒的な声量に裏打ちされた厳かな歌声に切なる祈りを感じました。また、マヘリアの服装にも注目。豊かな体を『ルパン三世カリオストロの城』のクラリス姫みたいなかわいらしい白いドレスで包んでいるのが素敵で、ゴスペルの女王の風格の中にも乙女心がちらりと垣間見え、つい笑みが浮かびます。

マヘリアの歌声で締められた映画は、祭りの後のニューポートの長閑な風景が映され、エンドクレジットに入ります。

遠い遠い昔の、古き良きアメリカとジャズの輝き、ロックンロールの盛況の片鱗をこの映画を通して知れたのは収穫でしたし、今は廃盤となり中古市場を探しても高くて手に入りませんが、この映画のDVDなりBlu-rayが再販されたら、夏の終わりに冷たいものでも用意しながらこの映画を大事に大事に観ようと思う。私にとってそんな映画となりました。

(追記・思いきって購入しました。頑張って買って良かったです)

(文責・コサイミキ)

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