オキナワンロックドリフターvol.72

1997年に一目惚れして、以来ずっと好きな人たちがいる。ブラウン管の中の外国のバンドマンとみまごうような6人のオキナワンロッカーたちはとても綺麗で輝いて見えた。しかし、その中の、悲しい瞳をしたふたりの男性の姿が目に焼き付いて離れなかった。
双子の兄弟、名は城間俊雄、城間正男。
10年間、私は彼らが気がかりだった。

2003年に彼らの芳しくない近況を知り、居ても立ってもいられず、その年の秋に俊雄さんと会い、その年の冬に正男さんと電話にて話をした。
それから3年と数ヶ月。
正男さんの不祥事を嘆き、時には憤り、さらにはそれを正男さんにぶつけてしまって電話口で大喧嘩し、メンタルの触れ幅が不安定な俊雄さんの言動や行動にやきもきし、胃の痛い思いをし……。城間兄弟に関わることで受けた誹謗中傷や嘲りに耐えながら、それでも支えてくださるサイトの常連やmixi等SNSで出会った方々や、かなりきつい情報を提供しつつも気にかけてくださるムオリさんやイハさんたちのおかげで持ちこたえ、俊雄さんを心配し、正男さんの帰りをずっとずっと待ち続けた。
そして、苔の一念岩をも通すと言うべきか、 2007年1月26日午後4時に私の長年の悲願は成就した。

5度目の沖縄旅行にてついに私は城間兄弟と念願の対面を果たした。
旅行前日に私は城間家に電話し、正男さんとは連絡が取れたものの、俊雄さんと連絡取れず徒方に暮れた。
そしてバスに乗り、コザまで。
待ち合わせはプラザハウス二階にあるプライムカフェにて午後16時。
宿にチェックインして一風呂浴び、着替えて化粧をするために鏡を見ると、正月での餅などの食べすぎによってパンパンになった腹回りと顔。これではミシュランのマスコットか餅の化身である。
そんな自分に嫌気が差しつつも唇を引き締めていざ、プラザハウスへ。
その日は冷え込むはずのムーチービーサの季節だというのに九州の5月のように蒸し暑い日で、プラザハウスに着く頃には汗が滲んだ。
向かう途中、城間家に電話すると、俊雄さんが出られた。
久しぶりに会うからと無精髭を剃ったら剃刀負けし、頬に傷ができたとのこと。
それを聞いて慌てふためいた。しかも、俊雄さんの口調が心なしかふわふわしていたのも不安になった。
でも、私の為に身綺麗にしてくださる。そんなささいな心遣いがうれしくなり、顔がにやけた。
思ったより早く来てしまったのでプラザハウス内の雑貨屋でメッセージカード、ペン、サイン色紙を購入してからプライムカフェでふたりを待った。
その間の15分がやけに長く感じた。
4年前の夏。京都観光ホテル向かいにあったモスバーガーで俊雄さんを待っていたことを思い出した。あの時は、前夜にゲート通りのバーにて残酷かつ手痛い洗礼を受け、会うか会わないかの葛藤で青ざめてぐしゃぐしゃに泣きながら。今は、強く願っていたことが叶う戸惑いでそわそわしながら。

高揚感の現れなのか、なぜかELOの"Strange Magic"が延々と脳内で流れていた。それとともに心の中でふわふわと浮遊する音のプリズムに身を任せていると甘酸っぱい気持ちになってきた。
さながら私はプロムキング候補のハンサムにエスコートされるのを待つプロムクイーン候補の気分だった。着ているのはドレスではなく、紺色のチュニックにジーンズ、会場はホテルのバンケットルームや体育館ではなくショッピングモールだけれど。
ミルクたっぷりのカフェラテを飲み終えると同時に城間兄弟がやっと来店。
店の外の城間兄弟に大きく手を振り、手招きした。
「ひさしぶりだね」と、俊雄さん。
正男さんはうつむきそうながら、はじめましてとぽつり。
感極まって俊雄さんに抱きつき、正男さんに握手をせがんだ。正男さんは戸惑いながらも握手してくださった。
そして席について歓談。城間兄弟はアイスコーヒーをオーダー。同時に砂糖をミルクを入れられ、同じ仕草でコーヒーをかき混ぜるおふたりを見て、あ、双子なんだなと改めて思った。
「あ、これ。まいきーにお土産。今日届いたチョコレートのお返しに」と俊雄さんが袋を差し出された。
ん?なんだろう?
ごそごそ開けてみると月桃の香りが鼻をくすぐった。袋を覗くと、月桃の葉にくるまれた長細いものがいくつか入っていた。鬼餅だ!
「ムーチービーサって知ってます?」
トリビアを披露しようとする正男さんにいらんこと言いな私は返した。
「前に正男さんからもらった手紙で教えてもらいました」
「え!そうなの……?」
ちょっとしゅんとしてしまった正男さん。あたー、まずいこと言ったかなあ。話が続くきっかけになったのにフラグをへし折る私はバカとしか言い様がない。
私も手土産を渡し、My Spaceにて出会ったかつてのアイランドの常連だったアメリカ兵のフリオさんと下地さんと城間兄弟で紫をされていたときのドラマーだったウェインさんからのメッセージをおふたりに伝えると、懐かしそうに目を細められた。フリオさんとウェインさんへのメッセージをお願いし、ペンとカードを渡すと快諾された。しかし、俊雄さんが長々とメッセージを書かれたので正男さんの書くスペースが僅かに。どうしようと思い、カードを買い足そうと席を離れようとしたら正男さんが「いいから、大丈夫」と遮り、残ったスペースいっぱいに“Forever Friend”と書かれて解決した。

その日、俊雄さんはカーキ色のベースボールキャップ、ナイキのパーカー、ジーンズを身にまとっておられた。
俊雄さんはベースボールキャップを摘まむと、「誕生日にあんたがくれたやつ」とウィンクされた。ファン冥利につきる。
対して正男さんは灰色のベースボールキャップにパーカー。
二人とも血色良く穏やかな様子だったものの、正男さんは長らく引きこもられていたのかかなり太られ、さながらケージの中のハムスターかミニうさぎのように怯えた瞳でこちらの様子を伺われていた。まだ、心を開いていないのだなと思ったものの、できるだけ平静を装い、私は城間兄弟に話しかけた。
それから、私たちは長々と話をした。
互いの近況を話し、正男さんが私の切りすぎた髪に気付き、「だいぶ短く切ったんだ、ボーイッシュだね」と苦笑いされると、俊雄さんが「かわいいよ。それにさっぱりしていていいさー」とフォローされた。下地さんの近況も聞けた。下地さんは嘉手納基地を退職された後にクリーニング店で働き、暑さからかかなり痩せられたという。
「下地にも今度会わせるから」
俊雄さんはそう仰られたので私は大きく頷いた。そして、ORANGE RANGEやD-51等について語っていくにつれ、城間兄弟は沖縄音楽界隈へのもどかしさへを語られた。表だった音楽活動をされていなくてもやはり城間兄弟はミュージシャンなんだと熱を帯びた語りを聞きながらしみじみ思った。そして、今後のこと。
俊雄さんも正男さんも忙しくしているとこのこと。正男さんは細々ではあるものの音楽活動の準備をしており、俊雄さんは離れて暮らしているご家族のところを行き来して忙しいとか。
そしていつかはまたふたりで本格的に音楽活動を再開したいと微笑みながら、彼らはそう語られた。
俊雄さんはうれしそうに饒舌に。
正男さんは初対面というのもあるせいか、不慣れな場所に迷い込んだ小動物のように固い表情と仕草で。
しかし、よせばいいのに嬉しさと照れからなのか私はテンションが高くなり、城間兄弟にこんなおせっかいを言ってしまいました。何様のつもりなのか。
「少しずつやってきましょう。焦ったら全てが台無しです。とにかく、地道にがんばりましょう。そうしたらちゃんと報われますから」
そんな私に、俊雄さんと正男さんはしおらしく「はい」と返された。怒られても当然な不遜な発言なのにおふたりの寛大さに感謝しかない。
そしておもむろに、正男さんは問われた。正男さんの瞳は丸く、あどけない子どもの瞳のように澄んでいた。
「なぜコサイさんは僕たちにそんなに親切にしてくれるの?」
その途端、私はなにかに憑かれたように理由を話した。
内容はオキナワンロックドリフターの最初らへんに書いているので割愛する。しかし、紫と城間兄弟をあのドキュメンタリーで見なかったら、私は未来への希望を失い、塀の中か土の下のいずれかの選択をするしかなかったとだけは書いておく。
私は城間兄弟を真っ直ぐに見た。
「あのときのおふたりの目がずっと気になってました。なんでこんなにすさんだ悲しい眼をしているんだろうって」
「あのときは……」
4年の間、既にコザの街やネット上にて色々聞かされたので、言おうとする俊雄さんを制した。
「言わなくていいです。つらいことがあったんでしょ?それに、コザの街でだいたいのことは聞いていますから」
そして息をついてきっぱりと私は言った。
「あのとき、なぜか思ったんです。おふたりを助けなきゃって」
俊雄さんと正男さんは驚かれたのか顔を見合わせた。
「何度も嫌な思いもしたし、あなたたちの負の部分も知ったけれど嫌いになれませんでした。それどころかあなたたちと接したおかげで色々と強くなったし、本当に大切なものを選ぶ力を身につけたから。感謝で一杯です」
すると、正男さんはふっと微笑み、手を差し出して仰られた。
「ありがとうございます。あなたとはいろいろあったけれども、これからは仲良くしましょうね。どうか、今後もよろしくお願いします」
その言葉を聞いたと同時に涙腺が緩みそうになった。
握った正男さんの手は柔らかく少しひんやりしていて湿っていた。
涙を見せたくなくて正男さんを思い切り抱きしめて感謝の印に軽く頬に口付けた。なんて大胆なことをしたのかと当時の私の耳を千切れるくらい引っ張りたい。
しかし、どんな感謝の言葉をかけていいのか見つからずそうするしかなかった。
そして俊雄さんは私を手招きすると、両手を広げ、私をそっと抱き締めて髪を撫でられた。
耳元で囁く俊雄さんのぽそぽそした喋りがくすぐったく、胸が熱くなる。
「なあ、あんた。あんたがいてくれたから俺たちは頑張れたんだ」
そう呟かれた俊雄さんが私をもう一度抱き締めた後にとられた行動は今も忘れられない。
ふわっとした薄い唇と髭の剃り跡のせいでざらついた頬が私の頬にそっと触れられ、ダウニーの洗剤の甘い香りとシェービングクリームの香りが私の鼻腔をかすめた。
あまりの衝撃に俊雄さんにキスされたのだと認識するのにかなりの時間を要した。そして、視界に映る俊雄さんの生え際の白髪に目頭が熱くなった。
1997年から10年の間、会いたいと願っていた人からのキス。もう一生顔を洗えないかもしれないなと気化しそうなくらい熱くなっていく自分の体温を感じながら思った。
「大丈夫よ、大丈夫だからね。俺も正男も少しずつ上向きになっていっているからさ」
俊雄さんが優しく髪を撫でる度に体が蒸発し、霧になってしまいそうになった。溢れる嬉しさと愛しさを声に出したら泣きそうなので黙って俊雄さんを強く抱きしめるしかなかった。
そして、正男さんは上目遣いながらもはにかんだ笑顔でこうおっしゃってくれました。
「4年間も浮き沈みの激しかった僕たちを変わらずに支えてくれてありがとう」
しかも俊雄さんも正男さんも頭を下げられて。嬉しさ半分、恐縮半分の心境で私の顔は赤くなり、とてつもない幸せに気が遠くなった。不幸になるかも。でも、その時はこの日を思い出そうと誓い、気を持ち直した。
そう思い、その後、大学入学する日まで待ち受ける災難や不幸が来る度にこの日の出来事を思い出しては心の支えにした。今も2007年1月26日は心の中で宝石さながらに眩い光を放っている。
午後17時半。お茶会は終わった。城間兄弟が私をバス停まで送ってくれるということなのでそれに甘えることにした。
エスカレーターの中で、俊雄さんが腕を差し出された。腕を組んで……いいの?
おずおずと腕を組んでエスカレーターを降りた。幸せ過ぎて気を失いそうな瞬間だった。
正男さんが少し寂しそうな顔をされながら手を差し出した。私は手を伸ばして正男さんの手をきゅっと掴んだ。
宜野湾行きのバスまで時間がまだあるようなのでバス停で立ち話することにした。
「ムーチー、ちゃんと食べましょうね。城間家で作ったものなんですよ」
と、微笑みながら仰る正男さんに、私はよいこのお返事の如く返した。
「もちろん!!」
瞬間、おふたりは大きく噴き出した。
「あ!駄洒落?餅だけに!」
偶然の洒落に3人で大笑いし、バスが来るまで硬く握手を交わした。
バスが来て乗り込む際、俊雄さんと正男さんは「またね!」と大きく手を振られた。私は後部座席に乗り、遠ざかるおふたりに何度も何度も手を振り返した。
どうしよう、私は早死にするかもしれない。こんなにあっさりと悲願が叶っていいのだろうか?

あまりの幸せに目眩がし、おふたりの姿が見えなくなると同時に私は静かに泣いた。

(オキナワンロックドリフターvol.73へ続く……)
(文責・コサイミキ)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?