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『誰も書かなかった玉城デニーの青春』を読んでみた。


「ミキ、紹介するよ。こいつが玉城デニー。市会議員やっててさ、今じゃ俺たちの中では出世頭」
 2003年の初来沖、知人のオキナワンロッカーに紹介され、玉城デニー氏に会釈した思い出がある。
当時、沖縄市の市会議員だった玉城氏で記憶に残るのは、人当たりのいいハンサムというのと、知人から紹介された際の私の反応が今一つぼんやりしたものだったせいか、むっとしたのか一瞬だけひそめられた整った眉の印象の強さだった。
  それが今のところ、最初で最後に会った玉城氏の思い出だ。
   そして、玉城氏はあれよあれよと、最初の落選があったとはいえ衆議院議員選挙4回当選、さらに2018年には県知事選挙当選とサクセスストーリーを邁進していった。
   さらに、今回、県知事選のプロモーションのためか光文社から藤井誠二氏による玉城氏のルポルタージュ『誰も書かなかった玉城デニーの青春』が刊行されたと知り、正直、玉城氏の政治手腕やイデオロギーには全く賛同できないが80年代オキナワンロックの資料にはなるかとメルカリを使って購入した。
   読む前は広告や既に読まれた地元の方のTwitterでの呟きから推測し、玉城氏の出生→ハーフとして受けた差別→高校時代のバンドマン生活→専門学校の学生時代→帰郷とバンドマン再び時代→ラジオD.J.時代→市議選当選→国会議員当選→県知事選当選、しかし、飛び交うデマや誹謗中傷に苦しむ日々→これからの展望みたいな感じの本なんだろうかと思っていた。
   しかし、ページをめくるとなんじゃこりゃ。いきなり高校時代の『ウィザード』なるロックバンドを結成したエピソードから始まり、つい「はあ?」と口にしてしまった。生い立ちどこー?いきなりそれかよ!と思わず本に裏拳ツッコミしそうになる程。しかしながら、沖縄で、まだ『紫』や『コンディショングリーン』といった偉大なるしーじゃ(年長)たちが立ちはだかる沖縄で高校生バンドをやること、アイデアの宝庫で奇抜なアイデアでオーディエンスを惹き付ける才能に長けている玉城氏のエピソード(ただし、アイデアをきちんと具体化したのはメンバーのひとりである故・喜屋武進氏で玉城氏のアイデアである看板作成や衣装作成は、これまたメンバーの親泊功氏というのも玉城氏らしいエピソードではある)が記されているのは貴重であるし、親泊氏の証言から『ウィザード』を活動していた70年代後半には既にオキナワンロックの衰退の色が濃くなり、音楽では食べていけないミュージシャンが増えつつあったという史実がわかったのは有難い。
   さて、ここから生い立ちについて語られるのかと思いきや、次の章は五人の後輩たちの証言。だから生い立ちとか専門学校時代の苦労話はどこ!
その五人の証言も、高良レコードの社長である高良雅弘氏、玉城氏の高校時代の後輩である武田誠氏、ミュージシャン仲間である伊波興奨氏は玉城氏の人徳等について語られ、特に食うや食わずの状態だった伊波氏に玉城氏が中央パークアベニュー前でゲリラライブを呼び掛けて行い、稼ぎを全て伊波氏に渡すエピソードから沖縄のミュージシャン達、特に80年代にバンドマンをやっていた人達が口を揃えて「デニーは優しい」、「デニーはいいやつ」と言う理由がなんとなくわかったのは収穫だ。反面、松元理美女史(表紙の写真を担当されたカメラマン・ジャン松元氏の夫人)の証言は玉城氏のエピソードはお弁当の白ご飯に散りばめられたごま塩程度しかなく、後は米軍基地内でライブをした際に蔓延るルッキズムやセクハラについての憤怒、カフェ経営者である仲村晃氏は玉城氏同様混血児としての生い立ちを語られたエピソードまでは良かったものの、重度知的障害を持たれるお子さんの普通高校進学実現までの県教育委員会との戦いにかなりページが占められ、玉城氏のエピソードはいつの間にか雲散霧消する始末。もはや評伝としては難ありだぞ、この本。
  第三章でようやく玉城氏のバックグラウンドについて語られてはいるものの、福祉専門学校時代や卒業した後の老人センター勤務のエピソードについては素麺の薬味の生姜ですらもっと入れるだろうと思う程のちんまりした感じで綴られ、やはり音楽の道が諦めきれず、ミュージシャンへと再び転向するさまがページの大半を占める始末。藤井氏の文体もミュージシャン時代の玉城氏のエピソードのほうが筆が進むのか文章の温度に差がありすぎる。
   おまけにオキナワンロックの創始者のひとりである喜屋武幸雄氏の証言まで加わるから本の内容は明後日を通り越して明々後日の方向へ。玉城氏のバックグラウンドは何処へ?
  正直、喜屋武幸雄氏の証言があるのを目次で知った時は「うわ、でた」とはしたなくも毒づきそうになったが、喜屋武氏が沖縄の名家の出だったものの、その出生の根源は母親が大阪にて在日韓国人の男性と恋に落ち身ごもった混血児だというエピソードの詳細をしっかり書かれていたのでオキナワンロックの礎のひとりのファミリーヒストリーとしての資料としてはなかなか読み応えがある。そして、玉城氏が喜屋武氏が80年代当時興していた会社『ケーズプランニング』に勤務していた際に馬車馬のように酷使されていたことが喜屋武氏の話からこぼれ臭い、玉城氏の当時を振り返る言葉からもひしひし伝わり、オキナワンロック残酷物語としてはいい参考文献となるだろう。
   県知事まで上り詰めた混血児ロッカーの評伝としては致命的なまでに散漫だが。
   やっと三章の章末にて玉城氏の育ての親である知花カツさん(2015年逝去)について書かれたり、知花さんの実子であり、玉城氏にとって兄のような存在である知花正則氏により玉城氏の屈託のない性格が語られ、玉城氏自身が語る少年時代が記されだした。ここで感じたのは、育ての親である知花カツさんとカツさんの子どもたちについて語る玉城氏の言葉のニュアンスが温かなものなのに対し、海の向こうの父親に対して語るくだりは砂漠の砂さながらの荒涼さに満ちていて、玉城氏の自分が愛するものや愛してくれた人々への深い慈しみと、自分が淘汰したものに対してのドライさをうっすら感じ、同時に私の反応に対して玉城氏が眉をひそめた記憶がふと蘇ったのである。
  第四章でようやく玉城氏の生い立ちについて切り込まれていった。
   育ての親であるおっかあこと知花カツさんとのエピソードは優しくも玉城氏の自己肯定感を育むエピソードであるのに対し、産みの親であるおふくろこと玉城ヨシさんとのエピソードが驚く程希薄なのがどこかしらふたりの親の玉城氏に対する接し方の隔たりが玉城氏の中で歪みを生じさせたのではないかと下衆の勘繰りながらも思う程印象的なのと、さらにコザ暴動を目の当たりにした際に生まれた戦争への恐怖心と忌避、本土復帰運動が高まる頃、日の丸の旗を振っていた玉城氏に投げ掛けられた「あんたは日の丸を振らなくていいよ」という心ない声、どこかへ父親の温もりを求めていたのか慕っていた教師に「君は俺を父親と勘違いしているのでは」と指摘されて荒れた頃等、沖縄で父親のいない混血児として生まれることの生々しさが玉城氏の複雑な少年時代を通して伝わると同時にきちんと時系列どおりに書けばよりよく伝わるのにと、改めて本書の構成を残念に思う。特にこの章では、混血児の実態を調査、記録され、アメラジアン問題を提起されている沖縄国際大学名誉教授である波平勇夫氏や沖縄の歴史教育を専門とされている琉球大学教授の山口剛史の玉城氏の生い立ちと当時の情勢を照合して出た見解等が記され、貴重な歴史資料になり得るのだからなおさら残念でならない。
  第五章は音楽スタジオイガルースタジオを営む東江厚史氏と本書の表紙撮影をされたカメラマン・ジャン松元氏の混血児としての生い立ちが大半である。だから、玉城デニー氏の評伝のはずだよね、この本。どんどん斜めにそれていくような……。
  混血児かつ微妙にコーカソイドが強めな容姿故に迫害をされた松元氏とラテンアメリカ系のルーツを持つ東江氏の壮絶なエピソード、父と母を探し、異国の地で死の床に伏す母親を看取った東江氏、多くは語られないが母親への怨嗟と諦念、消息はわかったものの再会を拒んだ父親への嘆息が言葉の隙間から感じられるジャン松元氏の対照的な証言に改めて基地の街の落とし子として生きていくことの重さをひしひし感じた。と同時に、藤井氏が書きたかったのは玉城デニーという基地の街の落とし子から知事になった男の人生よりも沖縄の混血児問題のルポルタージュかオキナワンロックの歴史なのではないかとどんどんそれてゆく主題に呆れ果てながら思うのである。
  第六章でようやく玉城氏のエピソードが主軸となる。夫人との馴れ初めと結婚、夫人のご両親との初対面がロックミュージカル然とした出で立ちだったせいか、露骨には反対はされなかったがご両親に難色を示されたこと、ラジオD.J.として人気を得るものの、突如、沖縄市長選挙に出馬するという噂が流れ、本人の意志と裏腹にあれよあれよと担ぎ上げられかけ、挙げ句に担当していた番組を降板させられるという梯子外しの憂き目にあい、泣きを見た玉城氏等悪い意味での沖縄らしさが露になるエピソードに「あー。あるある」と沖縄アッチャー(リピーター)の端くれながら頷けるところがあり、読み応えがあった。
  反面、政治的ベクトルの近い元衆議院委員の屋良朝博氏、元沖縄市長で革新派の新川清秀氏の証言は蛇足感があり、特に新川氏が玉城氏のエピソードに感銘を受けるさまは「情で有権者を絆すのは政治手腕の見せ所」という言葉が申し訳ないが脳裏を過ってしまった。
  この最終章の章末は玉城氏の産みの親である玉城ヨシさんのルーツと、出生地である伊江島での地上戦の凄惨さ、ヨシさんの親族の証言からわかるヨシさんの几帳面さや潔癖さ、そこからあぶり出される育ての親である知花カツさんとの思い出と対照的に距離感のある実母のヨシさんとの溝を埋めるかのような玉城氏自身によるヨシさんの考察等が記されていた。
  最後に。一日半かけてどうにか読み終えてはみたものの、部分的にはオキナワンロックやアメラジアンの歴史としては貴重な証言や文献の引用等があったが、玉城デニーの評伝としては全体的に散漫としており、複数名の証言で糊塗した部分をこそぎ取ればすかすかになるのではと心配になる程だった。
   玉城デニーの青春というからにはと気負って読んではみたがそれていく主題に困惑し、例えるなら鶏の水炊きを注文したら、肉が少ないからと野菜や餅、鱈でかさまししたもはや水炊きとは名ばかりの寄せ鍋が目の前に出され、しかも食べたら肝心の肉よりかさまししたそれら具材のほうが美味しいという始末。一応腹は膨れたものの、「鶏の水炊き食べたかったのに」と、納得いかなさに首を幾度と傾げる羽目になった。そんな気分である。
   本人が多くを語らなかったので藤井氏の苦肉の策もあるかもしれないが、看板に偽りありなタイトルだよなと少し毒を吐きたくなった、本書である。

(文責・コサイミキ)

  


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